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いつも心にキャスケット

キャスケットの語源は、フランス語のカスク「casque(ヘルメット、カブト)」から始まったそうです。
福島にいた頃、いろんなファッション雑誌を見ていましたが、このタイプの帽子の殆どの表記は「キャスケット」ではなく「ハンチング」と記されていました。
なので僕はこの帽子の呼び名をずっとハンチングだと思っていました。

僕が19歳で原宿ラフォーレ「セルロイド」で働くようになり、浅草橋の馬喰町の問屋街に初めて仕入れに行った時の話です。
ワクワク、ドキドキが止まらなかったのを今でも覚えています。
特に帽子のお店には気合が入りました。池田屋、カネノ、マスダマス、色々ありました。特に「マンウ」*1の品揃えは、他のお店とは違う、ちょっと変わった帽子が沢山ありました。その「マンウ」の店主・永野さんは僕がずっと頭の中あった「ハンチング」を「八方(はっぽう)」と呼んでました。
トップが2枚・4枚・6枚・8枚、と分かれているものがあり、僕がチョイスしたものはトップが8枚だったので「八方(はっぽう)」
だと、後にわかりました。
それから僕はハンチングを改め「八方(はっぽう)」と呼ぶようになりました。
永野さんは帽子の歴史も何も知らない僕に、色んな帽子の事を教えてくれました。僕も雑誌やレコードジャケットを持っていって「この帽子探してまもらえないですかね?」とか「こんな帽子作れないですかね?」と、わがままばかり言ってました。そこで、日本に入ってきて無かった「KANGOL」を輸入してくれました。
ボルサリーノを大量に仕入れして、お金が回らなくなった時、「ゆっくり払え、、、ただし毎月ちゃんと払え、、無理なく、、」と、入金を待ってくれました。社長ではなく「オヤジ」と呼んでました。38年前のお話です。

HEADSを始動して、初めて大阪の中央帽子*2さんの工場を訪れ、製作現場を案内されました。歴史ある建物と職人さんの働いている姿に身が引き締まり、意欲が湧きました。その後、話し合って中央帽子のオリジナルブランド「THE FACTORY MADE 」と「HEADS」とで共同の作品を作ることになりました。そこでずっとやりたかった「八方(はっぽう)」の製作ミーティングをしました。生地を決めて細かいディテールを相談しました。普通の大きさよりもっと大きく、そしてその形が綺麗になるように意見交換しました。
どんな季節にもマッチする丁度良い厚みのカツラギの生地に裏地を貼って、汗の出易いスベリの部分をパイル地にして、フィット感と被り心地いい作品に仕上げました。担当の寺内くんの口から「キャス」というワードが繰り返し出ました。「キャス」?、、、何のこと?
そう、寺内くんは「八方(はっぽう)」のことをキャスケットと呼んでいました。僕もその日から何の抵抗もなく「キャス」にアップデートしました。


1ヶ月後サンプルが届きました。
THE FACTORY MADE ×HEADSのオリジナル第一号「BIG CASQUETTE」が誕生しました。
直径 33cm  高さ 12cm ツバ 7.5cm
今まで被った「キャス」で1番のお気に入りになりました。


*すべりはパイル地
カラー :ブラック .   ベージュ.  チャコールグレー     サイズ:58cm  .  60cm



18歳で上京して、5月の連休明けに大学の先輩と初めて新宿・ツバキハウスの「LONDON NITE」*3に行きました。先ず目に飛び込んできたのは、今まで雑誌やテレビで見てきた人達でした。ドキドキが止まリませんでした。同じ空間にいることに、とてつもなく緊張しました。
危険な香りがプンプンする店内の雰囲気の中で艶のある大人達や日中の街では見かけない奇抜でオシャレな同世代の人達がとても優雅に映りました。
衝撃でした。一言で言うと「フリーダム」。
始発の電車の中で僕はこう想いました。
早くあの中に入りたい、、、どうすればあの一員になれるだろうか?
どうしたら自由になれるだろうか、、、。
先ずは大学を辞めることを決意して、姉2人と一緒に住んでいる西調布の家に戻りました。



あの「フリーダム」の情景が頭から離れない日々、先ずは一人暮らし計画建てました。大学に行くふりをして、飲食店でアルバイトをしてお金を貯める事にしました。年を越してお正月は帰郷せず、アルバイトをしていました。お金が貯まった2月、両親に大学を辞めることを伝えました。親は大反対でした。当たり前です。小学校1年生から始めた剣道で大学を推薦で入学したのにもかかわらず、一年も経たずに辞めるとはなに事だと、、、。

何をどう言われたか思い出せませんが黙って二人の説教を聞いていました。
長い沈黙の後、ごめんなさい、、と言って行き先も決めず実家を
離れました。電車を乗り継いで着いた先は、なぜか雪景色の猪苗代でした。
民宿に泊まらせてもらって、次の日もぼんやり過ごしながら次の計画を練りました。そして、原宿の洋服屋で働くことに決めました。
どの洋服屋で働くか決めてなかったので、郡山駅の本屋さんで自分好みのブランドを調べようと表紙も見ないで「POPEYE」と「Olive」を購入しました。しかし、両方とも雑貨特集でした。パラパラと読みながら考えました。「そうか、、ブランドに入ったらそのブランドの洋服しか着れないのか、、?それはやだな、、」と思いました。
そのかわり雑貨屋さんだったら、色々なブランドや古着など自由な格好が出来ることに気付きました。洋服屋はやめて雑貨屋に決めました。今度は舐めるように「POPEYE」と「Olive」を読み返しました。そして「文化屋雑貨店」にするか「セルロイド」にするか迷いましたがラフォーレで働きたかったのでセルロイドに面接することにしました。
家賃2万、四畳半の部屋で一人暮らしをする時、母に保証人になってもらいました。「トシミ、、、自分の好きな事やれ!」と言われたことを今でも覚えてます。
1985年3月、ラフォーレ原宿・地下1.5階「セルロイド」に入りました。

翌年の8月、社長が引退する事になり「セルロイド」を受け継ぐ事になりました。父には内緒で母にお金を借りました。おかげで自分なりの好きな品揃えが出来る様になりました。大好きな帽子とサングラスを中心としたファッション雑貨店に変わりました。しばらくして、お金にも少し余裕が出来ました。そして大きいテレビとビデオ・デッキを購入して、毎晩レンタルビデオに足を運んで、今まで観る事ができなかった映画を片っ端から鑑賞しました。ビデオデッキを購入するまでは本屋さんで音楽やファッション雑誌、そしてレコード・ジャケットなどを見て、形成してきた自分のファッション・スタイルでしたが、この動く画像は僕にとって、とてつもない生きるエネルギーになりました。
特に映画「The Godfather Part ll(ゴッドファーザー パート2)1975年」と「ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)1984年」を観て、俳優ロバート・デ・ニーロのキャスケットを被る姿に惚れ込んで、同じ様な格好をしました。

*The Godfather Part ll
*ONCE UPON A TIME IN AMERICA

ビデオ鑑賞と同じようにハマったものがあります。それはアナログ・レコードです。ついにTechnics SL-1200MK2とVestax PMC-10 mk2を購入しました。お店が終わるのは20時、渋谷のタワーレコードは22時まで営業しているので足早に向かいました。HIP HOP ,HOUSE の新譜はもちろんですがSOUL,FUNK,ROCKなどNICE PRICEシールが付いた名盤クラッシックもよく購入し、中古レコード屋さんにもマメに行きました。そして、何よりハマったのがレゲエ・ミュージックでした。
「LONDON NITE」に通っていた頃にTHE SPECIALS の2TONE を始めダンスホール・レゲエをスタイリッシュに回していたのがDJの藤井悟さんでした。ツバキハウスが閉店し,「LONDON NITE」も不定期に西麻布のクラブP・Picassoに場所を移していました。そんな中、藤井悟さんもP・Picassoで定期的にルーツ・レゲエ中心のDJしていたので必ず足を運んでいました。単純に藤井悟さんのフィルターを通した選曲が全てレベル・ニュージックに感じ、不思議とラブ・ソングにも聴こえてきて、憧れと同時に目標になった人です。そして、藤井悟さんが回した日本最初の本格的スカ・バンドTHE SKA FLAMESの「TOKYO SHOT」が衝撃的過ぎて、色んなものが崩壊して、身も心も、はみだしチャンピオンになりました。

更に70年代後半のジャマイカのレゲエシーンを舞台にした映画『ROCKERS』と、同じく1970年代初頭のジャマイカ社会の現実をリアルに描き、レゲエ黎明期を代表するアーティスト、ジミー・クリフが主演・音楽を務めたレゲエ映画の金字塔「The Harder They Come」」のビデオを手に入れて毎晩
食い入る様に観ました。
セルロイドのお店には「The Harder They Come」」の大判のオリジナルポスターを特製の額縁に入れて飾っていました。
1988年頃の話です。

同じ頃イギリスではヒップホップのサンプリングネタの影響もあり、レア・グルーブが流行り、レベル・ミュージックのUK DUB 、ラヴァーズ・ロック、そして、ブリストル出身のThe Wild Bunch((後に、Massive AttackとSoul II Soulに分かれる)が、サウンド・クラッシュを開催し、アンダーグラウンドのサウンドが全世界のメイン・ストリームの”暗闇”を明るくしてくれる時代でした。

自分自身に「フリーダム」を掲げていた20代前半。
寝るのを忘れて、音楽、ファッション、そして「人」を
学び、遊び、体感した事が未だに心にあります。
その想いが色褪せない様に、この「BIG CASQUETTE」をずっと作ります。

MY「CASQUETTE」 HERO


「マンウ」*1 

「中央帽子」*2

「LONDON NITE」*3





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