就業保証プログラム(Job Guarantee Program)と, 主権通貨の「土台」

現代貨幣理論(Modern Monetary Theory)と呼ばれるアプローチにおいて, 重要な論点として「就業保証(Job Guarantee)」(以下, JGと略記)あるいは「就業保証プログラム(Job Guarantee Program)」(以下, JGPと略記)というものがある.

これについて, 簡単にではあるが, 『MMT現代貨幣理論入門』(レイ, 島倉原監訳)(以下, 金ピカ本, と称することとする)を用いて, 述べてみようと思う.

1 そもそも一体全体どうして"Primer"が「バイブル」なのだろうか?

...と, JGの話に入る前に言っておきたいことがある. まず, 金ピカ本の原著のタイトルをここに載せる:

Modern Money Theory    A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems

これがそのタイトルである. 一方, 金ピカ本の帯には次のようなことが書いてある:

「第一人者による「バイブル」待望の邦訳! いち早く日本に紹介した中野剛志氏と「反緊縮の旗手」松尾匡氏によるダブル解説! 貨幣観を一新!」

この記事の筆者である私には, 全くもって理解できないことがあるのだ. つまり, 入門書と訳されることのある単語"Primer"に対して, 一体全体どうして「バイブル」などという言葉を与えることができるのだろうかということだ. バイブルというのは, Bible, と書かれるとそれだけで『聖書』という意味になるのであり, 学術的な, あるいは科学的な書物, しかも入門書であるところの金ピカ本に, 一体全体どうして「バイブル」などという, 得体の知れない言葉を添えてしまったのか...私には理解不可能である(私は趣味でキリスト教神学, 特にプロテスタント神学を学んでいるという事情も, この事柄に対する私の理解不可能さの程度を高めていると言えるかもしれない).

おっと. このような話をしている場合ではなかった. JGの話に入るとしよう...いや, その話に入る前にもう一つだけ, 金ピカ本について言いたいことがある.  それは, 金ピカ本の第5章において, 通貨(currency)と貨幣(money)が混同されて訳出されているものがある, ということである. どうしてこれを気にするかといえば, それはレイ本人は, 通貨と貨幣について, それぞれ用語の用い方を説明しているからである. 次にその用い方の説明を引用する:

「「貨幣(money)」は, 一般的, 代表的な計算単位をいう」(金ピカ本, 邦訳18ページ)

「「通貨(currency)」は, 政府(財務省などの国庫や中央銀行)により発行される硬貨, 紙幣, 準備預金を示す」(同上, 邦訳19ページ)

さて, ここまで準備しておいて, いよいよ通貨と貨幣の金ピカ本第5章における混同を見ていく.

まず金ピカ本の邦訳を引用する:

「租税は貨幣を動かす. つまり, 主権を有する政府が租税を必要とするのは, 歳入のためではなく, 貨幣に対する需要を創造するためである. 我々はこう論じてきた. このことを念頭に置きつつ, 改めて租税政策を考えてみよう. 貨幣を最もうまく動かす方法とは, どんなものか? どんな種類の租税が最も良いのか? 貨幣を動かす以外に, 租税は何に利用できるのか? 本章ではこのような問題を検討する」(金ピカ本, 邦訳267ページ)

次にレイの原著から, ここに該当する部分を引用する:

We have argued that taxes drive currency. Sovereign government does not need taxes for revenue, but to create a demand for its currency. With that in mind, we need to rethink tax policy. How best to drive the currency? What kinds of taxes are best? Besides driving a currency, what else can taxes be used for? We explore such issues in this chapter.(Wray 2015, p. 137)

この二つの引用をよく見てほしい. そうすると, 日本語訳で「貨幣」と訳されているところには, 尽く"currency"が対応しているのである. なんとも不気味な翻訳であるように思えないであろうか...

たまたまでしょ?と思われた人はどうか, 金ピカ本とレイの原著(第2版)とを見比べてほしい. 特に第5章の冒頭および第5章第1節では, ”currency”と書かれているところに「貨幣」という訳語が何箇所も当てられているのである.

この話はこれくらいにして, JGの話に進むこととしよう.

2 主権通貨の「土台」

金ピカ本において, JGあるいはJGPの話は, 主に第8章「「完全雇用と物価安定」のための政策」というところで論じられている(金ピカ本には, 原著には存在しない「「就業保証プログラム」という土台」(金ピカ本, 邦訳407ページ)という副題が添えられていることからも, JGあるいはJGPの話は第8章にある, ということを金ピカ本の読者なら気づくだろう).

ところが, である. JGの話は第8章以外にも, 第9章「インフレと主権通貨」においても論じられており, 主権通貨の「土台」に関連する話はむしろ, 第9章において中心的に登場するのである(ど素人ならともかく, まさかMMTに関連して本を売っているような人間が, ここを見落として, JGについて書いている...なんてことはないよね★)

では, その証拠をここに引用しよう. とても長くなるが勘弁してほしいと思う:

「就業保証の提案をMMTアプローチに含めることについては, 議論が分かれている. MMTは純粋に説明的であるべきで, いかなる政策も推奨するべきでないと主張する者もいれば, 就業保証プログラムは最初からMMTの一部だと主張する者もいる./我々は20年前からMMTアプローチを展開し始めたが, 最初から就業プログラムを取り入れていたので, 実のところは後者が正しい. 我々はさらに, 主権通貨には「土台」が必要であり, 就業保証プログラムにおける基準賃金の設定によって, プログラム自体がその土台となると考えている. 限界的には, 通貨には, プログラムが雇用できる労働力分の価値がある. 例えば, 就業保証プログラムの賃金が時給15ドルに設定されれば, 15ドルで1時間分の労働力を購入できる. プログラム賃金が安定している限り, そしてプログラムで働く労働者がいる限り, プログラムの賃金より数セント高い賃金で, 雇用主はプログラムから新規の労働者を募集することができる./就業保証プログラムは, 通貨を「裏づける」1オンスの金よりもずっと有効な土台であると我々は考えている. 労働力はあらゆる財・サービスの生産に投入されるので, 労働力の緩衝材庫は金の緩衝材庫よりも経済を安定させるのに有効である. さらに, 労働者の所得は, 最終消費財に対する需要の最も重要な源泉である. 従って, 完全雇用状態で, そして緩衝材庫就業プログラムの比較的安定した賃金を利用して経済を運営することが, 消費支出と家計所得の安定のみならず, 賃金, それゆえ物価を安定させるのにも有効である」(金ピカ本, 邦訳479-480ページ, /は段落の変わり目を表している)

レイの原著では, この部分は次のように書かれている:

There has been a debate about the inclusion of the JG/ELR proposal in the MMT approach. Some argue that MMT ought to remain purely descriptive, stripped of any policy recommendations. Others have argued that the JG/ELR program has been part of MMT from the very beginning./ Indeed, that is factually correct, since those of us who began to develop the MMT approach two decades ago all incorporated the jobs program into it from the earliest days. Further, we believe that a sovereign currency needs an "anchor", and by setting the basic wage in a JG/ELR program, the program itself becomes the anchor. If, for example, the wage in the JG/ELR program is set at 15 Dollars an hour, we know that 15 Dollars can purchase an hour of labor. As long as the program wage is held steady, and so long as there are employees in the program, an employer can recruit a new worker out of the program at a wage that is set a few cents higher than the program's wage./ We believe this is a much more effective monetary anchor than an ounce of gold "backing" the currency. A labor buffer stock is more effective at stabilizing the economy than is a gold buffer stock because labor goes into the production of all goods and services. Further, the income of the worker is the most important source of the demand for final output of consumer goods. So operating the economy at full employment and with a relatively stable wage in our buffer stock jobs program will help to stabilize not only consumption spending and household income, but it also helps to stabilize wages and therefore prices(Wray 2015, p. 268, /は段落の変わり目を表している)

”anchor”という単語が「土台」と日本語訳されていることに, この二つの引用を見比べた方であれば気づくと思う. 金(金属としての金)による通貨の裏付けでは, たかだか金の採掘労働に対して労働力が投入されるだけなので, ある経済における通貨全体を安定的に(価格の変動が大きくなく)維持することは難しい. 実際に, ”Gold Standard”(金本位制と訳されることが多いが, ここでは, 金基準と訳しておく)は, 歴史上存在し, 歴史において消滅したのである. その消滅要因にはいろいろなものがあろうが, 通貨を安定的に裏づけることができなかったこと, あるいは通貨を安定的に裏づけようとするあまり, 経済全体の状況が悪化したこと(例えば失業率の増加や貧困率の上昇)が, 要因として挙げられるだろう.

3 金ピカ本における「コラム削除問題」

レイの原著には存在するが, 金ピカ本においてはその存在が抹消されている「コラム」(原著では"Box")が複数存在している. どのコラムが削除されているかをこの記事で具体的に書くことはしないが, 差し当たっては, https://ameblo.jp/erickqchan/entry-12642706585.html の記事を参照していただくことで, 原著にあったけれども金ピカ本には存在していないコラムの内容を, 確認していただければ幸いである.

...

久しぶりに現代貨幣理論(MMT)の話を書いた, ヘッドホンでした!Bye for now!★

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