ジェラルド・エプシュタインのMMT批判への再批判

お久しぶりです. 今回は, https://str.toyokeizai.net/books/9784492654927/ で示されている本, つまり『MMTは何が間違いなのか?  進歩主義的なマクロ経済政策の可能性』(ジェラルド・A・エプシュタイン著/徳永 潤二訳/内藤 敦之訳/小倉 将志郎訳)について, そこでなされているMMT批判に対する再批判を, その一部でも試みるものである. 以後引用は全て原著のページと, 邦訳は引用者による, という形式で行う. なお, 口調についてはかなり口語的になってしまうことを先に謝罪しておくことにしよう!

1 引用とコメント

「ヴァージン諸島に住んでいて, ヘッジファンドのマネージャーであるウォーレン・モズラーが, 長い間, MMT派の熱心な支持者である」(p. 5)

これは, エプシュタインが, MMTの基本構造のほとんどが, モズラーによって明らかにされているという認識を, 全く持っていないことを表している. モズラーの, Soft Currency Economics(Mosler, 1994)や, Full Employment AND Price Stability(Mosler, 1997)をエプシュタインは, どうやら読んでいないようなのだ.

「MMT派は, 税制についてほとんど言及することがなく...」(p. 8)

なんだって?!おいおい, MMTは税の役割について, しっかりと議論してきたのだし, 税制度についても議論の蓄積はあるのですよ. レイの金ピカ本の原著を, エプシュタインは読んでないのだろうか...(読んでいたとしても, 初版だけなのかもしれない★)

「MMTの枠組みの中で考えたとしても, 財政支出をフリーランチと見る主張は間違っている」(p. 13)

エプシュタインよ. お前の認識が間違っているのだ. MMTが言っていることは, 主権通貨を発行できる政府には, 財政的な制約がない, ということであって, 実物資源制約までをも, その政府は無視できるのだ, ということではないのだよ.

「現代貨幣理論(MMT)とは, そのほかのポストケインズ派の経済思想と同様に, ジョン・メイナード・ケインズ(当たり前である), ジョージ・ロビンソン, ハイマン・ミンスキーなどから着想を得ている, ポストケインズ派(そしてケインズとミンスキー)経済理論の一派である」(pp. 18-19)

あのー. どうして, カール・マルクスの名前が出てこないわけ??レイは「MMTは, ジョン・M・ケインズ, カール・マルクス, A・ミッチェル・イネス, ゲオルグ・F・クナップ, アバ・ラーナー, ハイマン・ミンスキー, ワイン・ゴッドリーなど, 数多くの碩学の見識の上に築かれた, 比較的新しいアプローチである」(レイの金ピカ本, 邦訳38ページ)と述べているんですがね!!しかも, JGPの説明のところで登場する「産業予備軍」という概念は, マルクスに由来するんだけどなー

「MMT派は, 本質的にはFRBのような中央銀行が, 政府支出を自動的に「貨幣化」すると想定している」(p. 22)

悪いのだけれども, 政府支出の貨幣化という表現が, 全く意味不明だから困っちゃうんだよね. あれかな? 国債発行しか政府支出は存在しないとでも思っているのか, はたまた, 国債発行するにも租税回収をするにも, まず先立って, 政府支出が必要であるという, スペンディングファーストの考え方を, まさか, 金融論の第一人者であるところのエプシュタインが理解してないとか...そんなこと, あるわけないか★

「MMTのマクロ経済における重要な政策提言は, 政府支出が完全雇用を目標とすべきであり, 中央銀行は, 政府負債を貨幣化することによって金利を低く維持し続けるべきである, ということである」(pp. 24-25)

政府支出が完全雇用を目指すべきだ, という提言はまあ良いとしても, 問題なのは, ここでも登場する, 政府負債の貨幣化という謎の表現である. この表現を見る限り, MMTにおける基本的な認識である, 貨幣は負債である, ということがどうもエプシュタインには見えないらしい. しかも, 政府負債を貨幣化?することによって, 金利を低くするという話ではなくて, 金利は(少なくとも短期金利は)政策変数であるから, 金利目標は, 外生的に決めることができるというMMTの基本的認識をも, どうもエプシュタインは誤解しているようである

「つまり, 完全雇用水準に達する直前までは, 税率は非常に低い. そして完全雇用水準を超えると, 突然に政府は大規模に税率を引き上げようとする」(p. 25)

ビルドイン・スタビライザーの存在やら, JGPのビルドイン・スタビライザー機能を全くもってエプシュタインは忘れてしまったのではないか?と思わざるを得ない記述である.

「MMT派は時々, 主権通貨国においては, 常にお金を刷ることができるので, デフォルトを強いられることはあり得ない, と単純に主張する. しかしこれは, マクロ経済的にみてほとんど重要ではない」(p. 27)

おいおい!MMTの一丁目一番地と言っても良い主張, つまり主権通貨国は非自発的なデフォルトを強いられることはないという主張を, 重要ではないと論じるとはどういうことか. しかも「お金を刷る」という, MMT派がみたらびっくり仰天するような表現を用いて, エプシュタインはこの主張を間違って展開してしまっているのだ. お金を刷るという表現をする人がMMT派であると自称したら, それは嘘つきの証拠であるので, ここにそれをはっきりと述べておこう(しかし, 金融論の第一人者であるエプシュタインがいまだに「お金を刷る」なんて表現を使っちゃうのは...)

「つまり, 変動相場制は, 発展途上国におけるMMT政策の万能薬ではないということだ」(p. 39)

あのー, 誰も変動相場制への移行が万能薬であるなんて, MMT派の人は言ってないんですよ. ただ, 財政スペースが最も広がるのが, 変動相場制であると言っているだけで...レイからのコメントをここに書いておきましょう. 「正直言って, ネパールは変動為替相場制にした方がよいのかどうか, 私には分からない. 世界の最貧国の多くにとって, 為替相場制度はさほど重要な問題ではないのではなかろうか. MMTの批判者は, このようなケースを指してMMTは間違っている証拠だと言う. 彼らは, 貧しい国々が直面する問題の解決策を見つけてみろと我々に迫る. MMTが, 途上国が直面している複雑な問題に対して単純な解決策が見つけられなければ, とにもかくにもMMTは間違っていると言う. まったくもって奇妙な主張である」(レイの金ピカ本, 邦訳515-516ページ)

「MMTが主権通貨に焦点を当てている一方, 信用を無視しており, 日陰に追いやっていると言う問題である. つまり, 過度の民間信用創造が, 金融投機, バブル, 金融不安定性に対して持ち得る潜在的な影響を無視しているのである」(p. 61)

はあ?!エプシュタインがこれをもし本気で書いているのだとしたら, エプシュタインの知的良心を疑わざるを得ない. まあ, MMTは「貨幣は信用である」と言う認識を打ち出したイネスの認識にも基づいているのですが, エプシュタインは, なぜかイネスのことを無視しているので, MMTが信用を無視しているなどというアホアホ解説をしてしまうのも, 無理はないのかなと思ってしまうのだ★

「負債の貨幣化, 低金利政策, 拡張的財政政策といったMMT派に特徴的なマクロ経済政策を提言するとき, 私の認識する限りにおいて, ほぼ全てのMMT派は, これらの「金融不安定性」の危険を無視している」(p. 67)

うーん. それはさー. エプシュタインがMMTの文献をほとんど読んでないからじゃないのかなー. なんというか, こんなのが金融論の第一人者なのかと思うと, 不思議な世界だなーと私は思ってしまうわけだ. (負債の貨幣化, と言う意味不明な表現をエプシュタインが使っていることはすでに, ツッコミを入れたのでここでは繰り返さないが, 負債の貨幣化と言う表現が複数回登場してきてしまう時点で, エプシュタインはMMTの基本を全くわかっていないように思われる)

「これは, MMTの「フリーランチ主義」の終わりであり, 非常に望ましい変化かもしれない」(p. 85)

この話は, Nersisyan and Wray(2019)における, グリーンニューディール政策の実物資源利用の可能性を論じた論文から, エプシュタインがこれでもか, とMMTを批判しているところの文である. だがエプシュタインは, そもそもMMTを誤解している. MMTのフリーランチ主義とはなんのことを言っているのか?!繰り返しになるが, MMTの基本認識として, 政府支出は租税によっても国債によっても賄われているものではない, と言うものがあるが, それをなぜだかエプシュタインは, フリーランチ主義と誤解したようである. 財政制約がないことは, 利用できる実物資源が無限であることを意味しないことくらい, わかると思うのだが...あー, エプシュタインは, 金融論の第一人者「だから」実物資源も, 金融資産の如く見えてしまったのかな★

「要するに, MMT派の提案する財政金融政策の文脈にて, 金融不安定性と広範な金融規制への関心が相対的に欠けているのは, 彼らが, 自ら提唱する政策への制度的, 経験的制約に無関心であることの, 重大な例であり, 私の意見では, 彼らのマクロ経済政策アプローチ上の顕著な誤りである」(p. 93)

まあね, 金融論の第一人者であるところのエプシュタインの批判でありますから, 聞きたいとは思うのですけれど, それでもね, MMTがそのような制約に無関心であると言うのは, 全くもって理解不能な言いがかりであろう. もっと言えば, MMTは既存の「制約」に対して, それは本当に制約であるのか?それは勝手な, 人為的かつ政治的な制約であって, 経済において必然的に求められる制約ではないのではないか?と問いかけているレンズのようなものである. つまり制度的ないし経験的制約が, 本当に制約なのかを疑問視しているのがMMTなのであるから, このエプシュタインの批判は, ほとんどMMTに対する言いがかりである.

2 もうちょっとエプシュタインはMMTの文献を読もうよ

ポストケインズ派の貨幣金融理論の世界的な研究者であるところのエプシュタインならば, もう少し真っ当なMMT理解に基づく批判をしてくれるのだろうと思っていたのだが, 私がみた限りにおいても, MMTに対する誤解が甚だしい数, エプシュタインの本にはみられるのである. 全くもって許し難い事態である!




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