フロマートカの言葉メモ その4

この記事に続いてのものです。

「歴史は,同時代人の回想録や資料・文書保管所に書き残された史料の上で確認されたり描かれたりする都合のよい出来事の単なる羅列ではない。歴史は,出来事が個人,国家および文化的,社会的団体の精神,希望,決断,行動を継続的に変えるときのみ歴史となるのである」(フロマートカ『なぜ私は生きているか』新教出版社,邦訳128ページ)

「大国の軍事的,経済的支配が真の国際安全保障を長期間保持することはできない。何が正しいか,何が正しくないか,何が真理で,何が虚偽かを決定する権利に関して,大国の傲慢さと主張の危険性は大きかったし,現在も大きい」(フロマートカ『なぜ私は生きているか』新教出版社,邦訳135-136ページ)

「旧約聖書,古代教会,キリスト教史に関する自己のキリスト論的見解により,キリスト教信仰のほかにより知的な,歴史観や社会観や人間観は存在しないという事実を私は確信している。そして,人間がより深く十字架と復活の使徒的使信の中心に降りていくならば,それだけ深くイエスの生涯の意味がわかり,それゆえに,もっと勇気を持って今日の個人的,社会的さらに政治的苦難と課題に献身することができるのである」(フロマートカ『なぜ私は生きているか』新教出版社,邦訳141ページ)

フロマートカ「われわれは出発点としての社会から個人へと向かうべきであろうか。それとも出発点としての個人から始めて社会へと向かうべきであろうか。最初の道が容易に全体主義に,すなわち社会による人間の吸収へ,人間の尊厳や自由の没落や弱体化へと向かうことを,われわれは知っている。しかし出発点としての個人から社会への道は結局法における人間の利己主義の定着や社会的な責任や内面的な無秩序へ向かうことができるし,すでにしばしば本当に向かって行ったのである」

フロマートカ「ある階級なき社会においてさえ,罪人は存在するだろう。階級なき社会は,歴史の終りではない。人間の罪はあらゆる政治的・社会的なシステムを境越するものであり,その際そのシステムがいかに完全でありうるか,ということは何の役割も果たさないのである」

フロマートカ「危険はわれわれの一面性にあるのではない。危険は,われわれが自分達の見解を他の人間を判断する決定的な基準とみなすところにある」

フロマートカ「内面において自由であることが,自分自身を制御させるのです」

フロマートカ「希望は双子の姉妹として信仰に付き添うのであり,それが希望の本質であり,意味なのである。この双子の姉妹は,おたがいがその一部である。一方は他方なしには生きられない。一方が死ぬところで他方も死ぬのである」

フロマートカ「最悪の偶像崇拝とは一見あたかも神に崇高に奉仕している印象を与えながら,そっとわからないうちに,人が自ら召命されていない座に座り込むことである」

フロマートカ「イエスに対する最も強硬な抵抗者となりやすいのは,まさに地上の教会と,その牧師,説教者,教師,信仰告白者なのである」

「何が起きるかを推論したり, 明日や明後日のことについて無駄で無益な推測をするのは, 私たちの関知したことではない. そうではなく, 私たちは従順に自分が置かれた場所に立ち, 自分の信仰の光の中で出来事を理解し, 来る日ごとに定められた務めを行うよう, 呼びかけられている. この開放性と従順な備えの覚悟が, 真の自由と表裏一体のものなのである. これらがないところには自由もない」(フロマートカ編著『宗教改革から明日へ』平凡社, 邦訳394ページ)

「神の言葉はかくも自由で絶対であるために,世俗の科学的手法の前に揺らぐことはなく,純粋に科学的にしか見えない作業も突き破り,新たに人間の心を征服して教会の活動に影響を与える。だから私は神の言葉のこの絶対性に言及するのである。つまり,科学的作業の圧力に怯えて神学,教義学の解説作業の道を滞らせてはならないこと,そして神の生き生きとした言葉が与えることができ,そして現に与えている自由や絶対性の高みにまで持ち上げられなければならないことを読者に思い出させるために。大事なことは,自分たちの解釈,辞書,語彙,歴史的および考古学的発見に囲まれていても神自身から放たれた言葉の力強い声に心を開くことである」(フロマートカ『人間への途上にある福音』新教出版社,邦訳7-8ページ)

フロマートカ「偶像崇拝は、人間が神や小神を征服する手段、そう、神の好意に取り入る手段を自分で作り出せるというまさに人間の考えによる。」

フロマートカ「最悪の異教とは、原始的な部族の猛々しい信仰や野蛮な風習にあるのではない。」

「キリスト教徒が希望を持って期待しているのは,単なる楽園の再興ではない。楽園の規則の再興と言っても,古い規則を再興したいのではない。(期待しているのは)元の楽園のイメージで表現できるものよりも新しく,高く,深いものである。」(フロマートカ『人間への途上にある福音』新教出版社,邦訳317ページ)


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