初めまして! ヘッドホンと申します

初めまして! 私はヘッドホンと申すものでございます.

私が, どのような人物であるかを可能な限り, 詳細に説明します. まずは「高校生編」です

私の自己紹介を「高校生編」と「大学学部生編」の二つのパートで行ってみたいと思う. この投稿では, 「高校生編」のみ記すこととする.
 さて, 私の卒業した高校は, 東京都立戸山高等学校であり, 3年間を通してSSH(Super Science High school)のクラスに所属していた. また, 委員会は執行委員会(三権分立の考えに則れば, 行政権を担う委員会のことである)に所属し, 2年次には庶務局長(執行委員会そのものの会計担当であり文房具等の備品の管理責任者)の職務を全うした. さらに, 部活動は囲碁将棋部に所属し, 執行代になった時には副部長に就任し, 小学校以来続けていた囲碁を打っていた. 学級(class)については, 私は順に, 1年D組, 2年E組, 3年E組に所属し, 2年次には演劇(戸山祭, すなわち文化祭において, クラス単位で約1時間の演劇を, クラスで考えた問題提起とその解決を示唆する形でまとめあげることが課せられる)の制作担当として, 3年次には映画(戸山祭でクラス単位で約1時間の映画を, クラスで考えた問題提起とその解決を示唆する形でまとめあげることが課せられる)の制作担当として活動した.
 ここで, 私の自己紹介を行うために必要だと思われる, 戸山高校の生徒の雰囲気について申し上げたい. 戸山高校における標準的生徒の大半は, 「謎である」とか「変である」とか「キャラが濃い」という言葉を, 褒め言葉として受け取っており, 皆が一様にベクトルの方向と大きさの程度に差こそあれ, 変わっていたし, 変わっていることに別段マイナス評価を与えなかった, と私には思われる.
 したがって, 私も, 戸山高校の同級生や先輩後輩と「同程度」に変わっているのである, と評価されれば, 確かにそのとおりであると受け入れただろう. ところが, 私は実際には, 所属していたほとんど全ての団体の構成員の, これまたほとんど全てから, 「お前は, 周り(無論戸山高校に所属する人の中に限定される範囲での, 周り, である)に比べて, 甚だしく変わっている」という趣旨を匂わせる評価を与えられてきた. 少なくとも当時の私は, このような評価が下される理由について全く見当がつかず, 一定程度悩んでいたのだ. 今現在の私は, その理由についてある程度ではあるものの自分なりの答えらしきものを有しているのではあるが, それは私の自己紹介の「高校生編」で語るべき内容でないので, この投稿では割愛する.
 だが, 当時の私の中にも, 今から振り返ってみれば次のような考えがあったに違いないことは, ほぼ疑いないのである. すなわち, 「その人が何々である」というある人間の「個性」は, すべからくある人間以外の他者による評価で決まるものなのだから, 私が周りと比べても際立って変わっていると言われるのは, 私に究極的な原因があるのではなく, 私をそのように評価する私以外の他者が, 際立って変わっているのである, という考えである. 実際に当時の私は, いや今現在の私も, 私自身が際立って変わっているとは全く思わなかったし, 思わないのである. この投稿を読んでくださる私の特に高校時代の同級生や先輩後輩方におかれましては, 「私が変わっている」と思われるのであれば, その理由を具体的かつ論理的に私に教えていただきたく考えます.
 何はともあれ, 高校時代は私にとって, とても有意義(meaningful)であったし, 面白い(interesting)なものであったことだけは間違いないだろう. 高校3年間を全て包括しながら私の自己紹介「高校生編」を行うには, この文章の長さでは私の文学的能力の不足により, 圧倒的に足りないのであるが, 「大学学部編」の自己紹介を, 次の投稿で書かなければならないので, この投稿は以上をもって終了とさせていただきますことをお許しください.


次に「大学学部編」です.

私の所属大学は, 国立一橋大学であり, 学部1年次には様々な行事で様々な役割を担った. 具体的には, 第2外国語としての中国語のクラスにおいて, 運動会的な行事における大縄のプレーヤーやn人(n+1)脚(nはある自然数)のコーチ的な存在を担ったり, KODAIRA祭(学部一年生を中心に, 各クラスが模擬店を出店する)における会計を担ったりした.
 なお, 学部1年次における私の思い出をいくつか記すのならば, HR合宿(一泊二日の小旅行で, クラスメイトとの親睦を深めることを目的に設定されたイベントであり, 私の代では富士急ハイランドへ行った)において, 集団行動を半強制的に行わなければならない時, 例えば, 食事を摂ったり, 富士急ハイランドへ行く時間とそこから帰る時間を遵守したり, 就寝したりする時以外は, 富士急ハイランド内の観覧車や「エヴァンゲリオン」展示館的な建物をなんども, 1人だけでまわったり, 宿舎では, 1人だけで本を読んだりしていた. また, クラスオリエンテーション(いわゆるクラスメイトとの初めての顔合わせのイベント)では, 「鈴木」が私を含め3人おり, 「ユウト」が私を含め2人おり, ヘッドフォンをつけている「鈴木」や「ユウト」が私だけであったため, 自己紹介のタイミングで「私のことは, ヘッドフォン, とでもお呼びください」と言い, 周りのクラスメイトからは「変な人」認定を受けてしまった. 私からすれば, 私の上記の自己紹介にはそれなりの合理性があったので, なぜに「変な人」認定を食らってしまったのかが全く解せないのであるが, この投稿の読者の皆さんにおかれましては, その理由を私に教えていただきたく思います. さらに申せば, 高校時代の私のニックネームは「じっちゃん」であったのだ. 高校時代の友達や知り合いが言うには, 私の話し方や考え方が, 現代人の若い人のそれとはかけ離れていたことが, そのニックネームが私につけられた理由の一つであるらしいのですが, 私にはよくわからないのだ. 尤も私は「じっちゃん」というニックネームを嫌だとは全く思っていないので, 別段, そのように呼ばれることに対して悩んだことはない.
 所属する部活は, 高校時代から引き続いて囲碁部であり, そこでは文連(一橋大学文化連合団体)担当として, 囲碁部の貴重な活動資金の大半を大学から得ると言う仕事を行なっていた年次もある. また, 囲碁の実力が, 入部前と学部卒行事とを比べ, 少なくとも「3子」分は強くなったと思う. これは何よりも, 私の同期の連中や先輩後輩の方々の助けに負うので, この場を借りて感謝の意を申し上げます. ありがとうございました. さらに囲碁部では特に3年次以降ではあるが, 「関東学生囲碁連盟」主催の年2回行われる公式団体戦の一般部の参加メンバーとして, 他大学の, 私よりも明らかに強い, 錚々たる囲碁の打ち手と対局をさせてもらい, 一橋大学囲碁部における勝利という形での貢献はほとんどできなかったものの, 私個人としてとても貴重な体験をさせていただいたと思っている. 加えて, これは学部1年次や2年次に多かった出来事だが, 囲碁部の同期や先輩後輩の方々の全員ではないものの, 何人かと終電間際まで囲碁を打ったり, 囲碁の話や勉強の話などをさせてもらったりした. この出来事の中で話された内容は, 明らかに今現在の私という人間における重大な契機なのであるが, この投稿は私の「自己紹介」を行うものであると, 私が自己規定したので, その話された内容に関する仔細な報告はここでは行わないこととする. これ以降の投稿で, ひょっとしたら, その会話内容の一部だけでも公開される可能性がゼロではないということだけ, この投稿では申し添えておけば十分であると思われる.
 「大学学部編」の自己紹介を行うべきこの投稿において, いまだに勉強に関する話題が一つも出てきてないので, 長くなることは覚悟の上で, 勉強に関する話題を記していこう. 私は経済学部の学生であり, 学部後期課程における演習(ゼミナール)は, 石倉雅男教授が指導教官を担当するゼミを履修した. その演習では, 非常に大雑把に言えば, 現代資本主義の複数ある分析視覚の一部, 具体的にはマルクスの再生産表式やレオンティエフの産業連関分析だったり, 経済成長と所得分配との関係だったり, 実物経済と金融経済との関連だったり, を勉強させてもらった. 私の卒業論文(学士論文)では, 近代経済学の父として有名なアダム・スミス(Adam Smith)の主著の一つである『国富論(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)』を主たる考察対象として, スミスによる「分業(division of labour)」把握に関する学説史的研究を行なった. なお, 私の学士論文のタイトルは「アダム・スミス『国富論』における分業把握について」であり, 然るべき手順を踏めば, 一橋大学附属図書館にて閲覧可能であるので, 興味をもし持ってくださる方がいれば, ご一読していただけると, 執筆者としての私はとても嬉しく思います.
 また, 大学の授業以外の時間では, 経済学部生として, リカードの『経済学および課税の原理』やマルクスの『資本論』, シュンペーターの『経済発展の理論』やケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』などを, それらの一部分だけでも, 読んできたし, 経済学以外の分野として私が特に興味を持っている哲学や神学(キリスト教神学)における文献の読書を行なっていた時間が多かったと思う. 哲学については特に, 柄谷行人, という思想家が展開する哲学的思考に強い興味を惹かれ, 柄谷氏の主著といっても良いだろう本として『トランスクリティーク カントとマルクス』や『世界史の構造』, 『哲学の起源』や『帝国の構造』を熱心に読んでいたし, 今も読んでいる. また, ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は, いまだにその趣旨の全貌を私は理解し得てないのであるが, それでも非常にインパクトを私に与えた書物である. なお, 今現在の私は, カントの『純粋理性批判』, 『プロレゴメナ』やヘーゲルの『精神現象学』, 『歴史哲学講義』などの読解を始めようと思っている. 思っているだけで, いつその読書が実行されるかは私にもよくわからず, 神のみぞ知っているに違いないのである. 神学特にキリスト教神学については, 藤代泰三『キリスト教史』を読んで, その歴史の概観を学ぶとともに, 今現在では, シュライアマハーやカール・バルト, ヨゼフ・フロマートカといった傑出した神学者の主著とされるもの, 例えば順に一つずつだけ挙げるとすれば, 『宗教論』, 『ローマ書講解』, 『神学入門 プロテスタント神学の転換点』の読解を始めようと思っている. こちらについても, 思っているだけで, いつその読書が実行されるかは私にもよくわからず, 神のみぞ知っているに違いないのである.
 他にも「大学学部編」の自己紹介として書くべき事項はきっとたくさん残されているとは思うのであるが, 気がつけばこの投稿の長さが尋常でなくなっていたので, この投稿は一旦ここまでとさせていただきます.


長くなってしまいましたね. 今後は, 私の気になることを述べていきたいと思います. よろしくお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?