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Home... or Away?

サッカーではホームタウンで試合をする文字通りのホームゲーム(野球ではフランチャイズ)、逆に敵地で試合をするアウェイゲーム(野球ではビジター)がある。これを人の活動に落としてみたらどうなるだろうか?
心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

意味は?

まずは意味を調べてみた。

home (adj)
1(a) of or connected with one's home
 (b) done or produced at home
2 in one's own country; not foreign; domestic
3 (sport) played on or connected with one's won ground

away (adv)
1 ~ (from sb/sth) to or at a distance in space or time (from sb/sth)
2 continuously
3 unit it disappears completely
4 (of a football, cricket, etc team) at the opponents' ground
from "OXFORD ADVANCED LEARNER'S DICTIONARY"

概念図にしてみた

そしてなんとなく描いてみたイメージ・・・

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世の中には様々な領域や業界がある。それぞれの領域には自分と関連のあるものもあれば関連のないものもある。当然と言えば当然だ。更にそれを自分本位の尺度でふるい分けられることがある。それがHOMEAWAYであると捉えた。

ただ、この二語は上の図のようになっていないか?

つまり、自分とは関係があることの中でできることはHOMEとして扱い、逆にできないことはAWAYとして避ける(避けようとしている?)。更には自分とは関係がないことは何であれ、とりあえずはAWAYと見做してしまうのだ。

しかし、こんなことでいいのかな?

新たな(?)概念図

もっと建設的に、自己成長を見据えてイメージしてみる・・・

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横軸は自己関連性(他覚的尺度)を、縦軸は対応可否(自身の能力)として象限を考えてみた。
第一象限:自己関連性があり、得意分野でもある領域。
第二象限:自己関連性はないが、やろうと思えばできる領域。
第三象限:自己関連性がないばかりか、自身では太刀打ちできない領域。
第四象限:自己関連性はあるが、能力の限界を超えている領域。


それぞれで"ホーム"と言えるのはどこかと考えたとき、純然たるHOMEは第一象限に限られているのかもしれない。というのが先の概念図だ。

でも、所詮は"かもしれない"、だ。人によっては第二象限や第四象限へ挑戦するのを好むタイプもいる。そうすると、それぞれは決してAWAYであるとは言い切れないのだ。側から見るとAWAYに見えるかもしれないが、次に見たときにはHOMEに転じている可能性はある。
そのとき、縦軸が左へシフトしているか、横軸が下へシフトしていることだろう。どちらの軸が動いても、確実に第三象限の面積は小さくなってくる。
つまり、完全なるAWAYの領域が狭まっているのだ。

結論

自分とは関連がある中で、更には得意な部分を扱うというのはHOMEであり、当然やっていて気持ちの良いものだろう。しかし、人は成長もあれば衰退もある。HOMEに居座り安穏としているだけでは、衰退の一途を辿るのが関の山だ。

自己成長を望むなら、突飛なことをする必要はない。方法は2つ。
1. 自分の関わっている領域で他にできることはないか
  →第四象限に向けて背伸びしてみる。
2. 自分の持っているスキルを活かして他にできることはないか
  →第二象限に向けて開拓してみる。

改めて自分自身の向学心がどういうものか考えてみたくなって纏めてみました。

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