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【交流分析1級】自我状態-Ego Stage-

交流分析士1級講座の初日は「自我状態」から。

交流分析を勉強するうえで、基礎中の基礎である自我状態。巷で心理テストなどでポップに扱われているエゴグラムの根幹を成す要素と言った方が分かりやすいかもしれない。

しかし、そんなポップな表情とは裏腹、いざ踏み込んで学んでいくとなかなか手強いものである。

精神分析論の「自我」と交流分析の「自我」

フロイトの精神分析論における「自我」とは、無意識領域における「イド」と意識領域における「超自我」の葛藤を調整し、現実に対応している。人間の根源的な欲求である「イド」にせよ、欲動の満足に関して内的な規範として機能する「超自我」にせよ、理論的概念であることから「自我」とともに存在は見ることができない。

催眠術でトラウマなど幼い記憶を引っ張り出すような行為をすることがあるが、それは無意識領域であるイドに触れようとする行為とも捉えられる。面白おかしく催眠術を施行して後処置なく終わるようなことがみられる。しかし、トラウマは何らかの要因があって本人が無意識の内に蓋をしているのであり、術後にまた蓋を元に戻してあげないと、それはあまりに身勝手なものである。・・・というのは個人的な意見です。

さて、交流分析における「自我」というのは、理論劇概念ではなく、内側から体感し外側から観察できるものと捉えられる。「子ども」の自我状態では、嫌なことがあると不貞腐れたり、日頃から腰が低くて思ったことが言えない人として観察できる。「親」の自我状態では校則に厳しい風紀委員さんやモンスターペアレントなどが最たるものかもしれない。「成人」の自我状態は、周囲の状況を冷静に観察し、臨機応変に対応している人あたりだろうか。

二次構造

ただ、この「子ども」や「親」、「成人」の自我状態が、この程度であれば心理テストなどで楽しむには十分なのかもしれないが、交流分析として学ぶとなるとそうはいかない。それぞれの自我状態を更に分析してみる必要がある。それが自我状態の二次構造分析。

「子ども」の自我状態の内部には、更に発達時期に応じた自我状態が形成されている。

「親」の自我状態には、成長過程で色んなことを教えてくれる人の数だけの(P-A-C)が入っている。

「成人」の自我状態は、そもそもが"今、ここ"の状態なのだから区分することもなく自分自身そのものである。

構造上の障害

これら3つの自我状態がうまく機能することによって社会生活を過ごすことができる。人によっては一部の自我状態が突出しているなどの個性はあるものの、ほぼ自ら考え自ら行動している。

しかし、事実ではないにもかかわらず、あたかもそれが事実であるかのように誤認してしまう行動を取ってしまうケースもある。またときには、いずれかの自我状態が全く機能してしまわなくなっていたり、逆にその自我状態のみな状態になってしまったり・・・

人は何らかの要因で、3つの自我状態がうまくバランスを取っている状態でなくなることがある。というよりも、むしろバランスを取れなくなっている方が多いのが今の世の中かもしれない。

周囲のストレス要因により自我状態へ無意識のうちに影響を与える。それが溜まり溜まって自我状態を形成する壁である閾値を超えてしまう。そして、自我状態が過度に働いてしまったり、逆に抑制されてしまったりする。

その補完作用として、他の自我状態が抑制或いは活性化することになり、その無意識に起こった作用のあらわれとして、目に見える形で行動に移る。

自我状態と人を取り巻く社会

交流分析では、内面で感じるもの、外側から観察できるもの、それを見ていくことで様々な事が分かってくのだと思う。まだ学習過程の入り口にしか立っていないので"思う"止まりだが・・・

しかし、これから学んでいくにあたり、その人を取り巻く人だけでなく、モノであったり風習や文化であったり、もっと広い範囲で多角的に物事をとらえるようにしていけば、もっと面白くなるのかもしれない。

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