学習...してる?

2024/04/01

「学習」について、ちょっと改めて整理したいと思う。

最近、古本屋とかメルカリで本をいくつか買って読んでいる。YouTubeとかwebで見つけた自分が好きだな、と思った人の本(最近買ったのは、菅俊一さんとか森沢明夫さんとか)を検索して見つける場合と、古本屋でたまたま見つけて面白そうと思った本を手に取る場合と。
今のところ一番当たりだったのは、京大卒・元日本一のニートという肩書きのphaさん著の「血の整理術」という本だ。まあ今回は、本の中身の紹介ってわけではないので、気になる人はぜひ手に取って読んでみてほしい。

今回は、「学習」について。
勉強と違う言い回しをしているのは、学問に限った話ではなく、あらゆる経験や体験に基づいた大枠の「学び」について書きたいからだ。
自分は、「できないことをできるようにする」ことが結構好きだ。どのレベルの話かというと、素人→初心者に至るまでの入り口段階の学びの部分。この知識知りたてほやほやの状態(ドラクエの最初の村から最初のボス戦をクリアするところくらいまで)をよく楽しんでいる。しかし、しかしだ。僕の良くないところは、そこで飽きて別の分野に飛んでしまうことだ。せっかく冒険がスタートしたのに、ゲームカセットを抜いて、別のゲームを始めてしまう。これが、僕の学習癖だ。

この学習癖は、色々な分野の学習をするため、オールラウンダーに見られがちだが、そんなことはない。オールラウンダーとは、複数の分野で中級者、もしくは上級者レベルの技能・知識を持っている人のことを指す。つまり、初心者レベル(中級者レベルのスキルも一つ二つはあるが)が何個になろうが、それはオールラウンダーではない。ただの見習いだ。僕はこの見習い状態にずっとなり続けていることに気づいた。しかも、恐ろしいことに、今まで学習した他の分野を全部覚えているかというと... 忘れているものが多い

この悪癖を治すために、「学習」を一から考え直していこうと思う。まず学習とは何か、から考えてみる。
僕が思うに「学習」とは、体験(本を読む、ネットサーフィンをする、物理的な怪我をする、など)から得た知識、知見、知恵をこれから起こる障害や問題に対してうまく活用していく応用方法を自分で組み立てられるようにする訓練である。これを一番実感したのは、名作ゲーム“SEKIRO”だった。
SEKIROは、死にゲーで有名なあのフロム・ソフトウェアの一作で、フロムゲーオタクの友人が『絶対面白いからやって』と、めちゃめちゃ勧めてくれたので、去年からちょくちょくやっていた。ゲームは小中の頃に死ぬほどやってたので、腕には自信があったが、まあ難しい。死ぬ。敵強い。でも、何故か時間を忘れてのめり込めるくらい楽しいゲームでもある。久々に子供の頃に戻った感覚でゲームができる、とワクワクしてプレイしているのだが、どうしてこんなに楽しめているのか、それが「学習」と深く関わっている。

死にゲーは基本的に、何度もゲームオーバーを繰り返しながら、敵の攻撃パターンを体で覚えて攻略していく。何度も何度も敵に挑んでいくうちに、『あ、この振りかぶりはあの攻撃が来るから一旦退こう』とか『この攻撃の後は隙ができるから弱攻撃が2回入るな』とか勝手に感覚として覚えていく感じがたまらない。これは、RPGゲームのようにいわゆる「キャラクターのレベルアップを楽しむ」ではなく、「プレイヤー自身の操作スキルが上がっていくことを楽しむ」ことが実感できているから、達成感が段違いに高い。つまり、自分自身がレベルアップしていくのがボスを倒すことで体験できるのだ。ここに、「学習」することの全てが詰まっているような気がする。
SEKIROの面白さは、受動的なプレイでは絶対にクリアできないところにある。要は、自分自身が学習しないとクリアできないのだ。

ちょっと時間が足りないので、今日はここまで。
また明日にでも、SEKIROを通じた「学習」を書きたいと思う。