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春のセミ

昨日は温かい日曜日であった。

黄砂が飛んでいるのが玉に瑕だが
こんな天気は布団を干して
寝室を掃除するには絶好のチャンスである。

家族全員が起きてきてすぐにシーツを洗い、
布団をベランダに干して
寝室の窓を全開にしながら掃除をし始めた。

そんな清々しい日曜日の午前に
聞き慣れない大きな音が聞こえてきた。

一体何事かと思いながら見てみると
家から50mほど離れた道に
暴走族の集団が走行していたのである。

暖かくなるとバイク乗りの方が増えるので
最初はハーレーの集団かとも思ったが、
必要以上にエンジンを回して音をまき散らす
その様子は、明らかに私の知る暴走族であった。

バイクはいかにも暴走族という仕様である。

私が住む町は田舎ではあるが、
暴走族を見る事はめったにない。

日本全国を見ても暴走族というのは
少なくなっているのであろう。

私が子供の頃にはしばしば暴走族を見かけたが
今では絶滅危惧種のような感じなのかもしれない。

なんとなく懐かしいなと思いながら
彼らが通り過ぎるのを見ていると、
ふとあることに気が付いた。

彼らは音こそまき散らしているものの、
服装は至って普通の服装であり、
バイクを蛇行させることもなければ
6台ぐらいの隊列は綺麗に1列に並びながら
全員がしっかりとフルフェイスの
ヘルメットを着用していたのである。

バイクこそ若干ヤンチャそうな雰囲気は
漂っているものの、
エンジンをふかさずに走っている分には
単なるバイク好きな若者のようにしか
見えない。

私にはこれがとても新鮮に見えた。

なぜなら、彼らは純粋に
”大きな音を鳴らしながらバイクを乗る”
ことだけを楽しんでいるように見えたからである。

もちろん大きな音を出してバイクに乗るのは
あまり褒められたことではない。

バイクのことはあまり知らないが
あのような音が出るマフラーに改造するのは
恐らく違法であろう。

だが、彼らは純粋にそれを楽しんでいる。

何も蛇行運転をして周りのドライバーを
危険な目に合わせることもしなければ、
ヘルメットなしで運転して自身や仲間を
危険な目に合わせるようなこともしない。

私が見たのはあくまで彼らが走るところだけなので
現実には違うかもしれないが、
恐らく彼らは無意味に喧嘩などしないであろう。

何度も言うが、決して褒められたことではないものの
彼らのスタイルはとても清々しいと私は感じた。

自分の好きな事にはお金や手間をかけるものの
そうでない部分には余計な労力はかけない。

そういう割り切りが今の若者は
ちゃんとできているということなのかもしれない。

きっと昔の暴走族の中には
本心では特攻服を着まわしたいだけなのに
周りに合わせてバイクを乗り回していた人もいるだろうし、
喧嘩はしたくないけれどバイクが好きで
暴走族に入っていた人もいるだろう。

求めるものがそれぞれ違う人たちが
集まる組織はそれゆえの面白さはあるものの、
やはり目的を同じくした人たちの組織に比べると
弱いものになるだろう。

そういう意味で現代の暴走族は目的が同じで
純粋にバイクを音を出しながら走ることに
特化した人たちの集まりなのだ。

せっかく清々しく晴れた温かい日曜日の朝に
ヴォンヴォンと鳴り響く音は
邪魔なものではあったが、
通り過ぎてしまうと再び静かな町が戻ってきた。

暖かさと共に現れ、音をまき散らしていつの間にか
消えるという意味では、
彼らはセミのような存在。

かつての暴走族は妙な場所に溜まったりして
人を攻撃するスズメバチで
今の暴走族は一時的に音をまき散らすだけで
人畜無害のセミだと思うと、
とても面白いものである。

啓蟄は虫だけではなく暴走族も
目覚めさせる時期なのかもしれない。

先ほども書いたがこの時期になると
ハーレーに乗ったおじさんたちの
集団に遭遇することがしばしばあるが、
ハーレーの集団が通過すると
暴走族ほどではないものの
尋常じゃなくうるさい。

ハーレーはオリジナルでこのような
うるさい仕様なのであろう。

合法の範囲内ではあるものの、
求めるものは今回私が見た現代版暴走族と
似たような部分があるのかもしれない。

ちなみにハーレーに乗るオジサンたちのほうが
明らかにワイルドで強そうに見えるのは
私の気のせいではないだろう。

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