第12回 すこぶる曖昧
[前回noteよりひきつづき、吉本隆明さんの講演『現在をどう生きるか』(1995年9月3日・山梨県立文学館講堂にて)をゆっくりじっくり聴いてゆきます。ほんじつ、第12回めっす。]
前回では「それから、『人間の命とは尊いものですよ。』という言い方があって。それは一種の西欧近代のヒューマニズム、あるいはヒューマニティーから出てきてるわけですけど。『一人の人間の命は、地球よりも重いんだ。』という言い方は、かつてハイジャックか何かがあったときに保守的な政府の政治家が言ったことがある。政治家でさえ、と言ったほうがいいんでしょうけども。で、僕はえらい感心しまして。つまり、そういう言い方で言われる人間の命の尊さも、疑わしいような現象ってのはいろんな面で出てきている、ってなことを言えると思います。」という場面でした。
‥‥の、いちおうまいかい、前回のまとめみたいなのをここのうえに書いているんだけれども。それが、どんどん長くなってしまっている気がする。
だもんで、これはこれでよいのかもしれないけど、もうちょっとまとめかたを考えてみたいともおもう。。。
では、講演のつづき、聴きます〜。
で、これらは共通して、何と言いますか、あの。事物の評価の、つまり、判断の基準っていうものが、その基準の本体から、あの、離れて、いかようにでも浮かんで行ってしまう。
(チャプター02「疑わしくなった善悪の基準」/2:41〜)
「これらは共通して、事物の評価つまり判断の基準が、基準の本体から離れていかようにでも浮かんで行ってしまう。」
で、あの。何が善であるか、何が悪であるか、っていうふうに問うていったり。
「何が善であるか? や、何が悪であるか? と問うたり、」
それから、自己っていうのは…、自我っていうのはいったい何だ。お前の自我ってのは何だ? って言ったら、すこぶる曖昧になってしまう。
「自我っていうのは何だ? と言ったらすこぶる曖昧になってしまう。」
それから、あの。自分が思いがけないことを、自分でしてしまう、とか。っていうようなこともありますし。
「それから、自分が思いがけないことを自分でしてしまう。というようなこともありますし。」
それから、あの。商品についても、その。価格が、いかようにでも変わってしまう。
「商品についても、価格がいかようにでも変わってしまう。」
なんて言ったらよいかはよくわからないですが、これらが、吉本さんがこの講演の最初でおっしゃった「価値の浮遊性」ということなのでしょう。
んでもなんだか、なんとなく、感覚的にわかる気もいたします。
そいじゃあ、このつづきは次回noteで聴きたい!!!
平成30年7月24日
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