現在をどう生きるか2

第11回 人間の命の尊さ。

前回noteよりひきつづき、吉本隆明さんの講演『現在をどう生きるか』(1995年9月3日・山梨県立文学館講堂にて)をゆっくりじっくり聴いてゆきます。ほんじつ、第11回めです。]

前回には「また、市民社会で大多数の人が承認している常識的な善悪っていうのは、ほんとかね? っていうふうに問うていくと、やっぱり、いろんな事件で危ないってことが、いろいろ疑問だ。ってことが出てきた。逆に言うと、市民社会で当然だと思われた善悪の基準が疑わしくなってくる、という現象もたくさん出てきていると言えます。これも、善悪の基準が浮遊しているとも言えますし。」の場面でございました。

つづき、聴きます。。。

それからまた、あの、人間の命っていうのを考えて。命っていうのは、尊いもんですよ。っていうふうに、あの、尊い、尊いもんですよ、っていうふうに言い方があって。
(チャプター02「疑わしくなった善悪の基準」/1:25〜)

「それからまた、人間の命というのを考えて。命とは、尊いものですよ。という言い方があって。」

それは、一種の、西欧的な、あの。西欧近代のそのヒューマニズム、あるいはヒューマニティー、っていう。人間性っていう概念から出てくるわけですけど。その、出てきてるわけですけど。

「それは一種の西欧近代のヒューマニズム、あるいはヒューマニティーっていう人間性という概念から出てきているわけですけど。」

‥‥の、ここでの「ヒューマニズム」は英語で【humanism】。訳は、Wikipediaによれば「人文主義(じんぶんしゅぎ)あるいは人本主義(じんぽんしゅぎ)」。「イズム」だもんで、「主義」ということかね。

また同様に、「ヒューマニティー」は英語で【humanity】。訳は、Weblio辞書によれば「人間らしさ。人情味。人間性。」。「なんとか性」というのにはよく【-ty】が付くかねー。

その、あの。その、一人の人間の命は、その、何と言いますか、地球…。地球よりも重いんだ、ってような言い方が、あの、ありますし。

「ひとりの人間の命は地球より重いんだ。のような言い方がありますし。」

これ、かって、その。あの、なんかハイジャックかなんかあったときに、その、保守的な…、ま、今の自民党なんでしょうが。保守的な政府の政治家が、そういうことを言ったことがある。それ、政治家で、さえ、と言ったほうがいいんでしょうけども。でさえ、その、なんか、あの。人間…、一人の人間の命ってのは地球よりも重いんだ。ってゆうようなことを言ったことがあるんです。

「これは、かつてハイジャックかなにかがあったとき、保守的な政府の政治家がそういうことを言ったことがある。政治家でさえ、と言ったほうがいいんでしょうけども。政治家でさえ、ひとりの人間の命ってのは地球よりも重いんだ。っていうようなことを言ったことがあるんです。」

で、僕はえらい感心しまして。感心した、っていうか、感動したのを覚えていますけど。

「それで、僕はえらい感心というか、感動したのを覚えていますけれど。」

ここで吉本さんがおっしゃる「感心」や「感動」ということばは、先ほどの吉本さんおっしゃった「(政治家)でさえ」からの係り結びのように考えれば、つまり、反語的と申しあげますか、たとえば皮肉みたいな言い方なのでしょうか。。。

あの、そういう。つまり、そういう言い方で言われる、人間の命の尊さっていうのも、いわや、疑わしい…。それを疑う、疑わしいような現象ってのは、あの。やっぱり、いろいろな面で出てきている、ってなことが、あの、言えると思います。

「つまり、そういう言い方で言われる人間の命の尊さっていうのも、いわや、疑わしいような現象が、いろいろな面で出てきている。と言えると思います。」

人間の命の尊さも、いわや、疑わしい。

‥‥というここのつづきは次回noteで聴きますー。

平成30年7月23日


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