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縄文土器を鑑賞するとして。

岡本太郎さんが、あるとき博物館を訪れて、
そこで展示される縄文土器を鑑賞しながら、
「なんだ、これは!」と衝撃を受けた、
というエピソードを聞いたことがあるけれども。

ここでふと考えるのはね、
太郎さんは、このとき初めて
縄文土器のことを知ったのでしょうか?
つまり、たとえば、縄文土器って、
現在では、学校の歴史の教科書でも
写真付きで登場しているのだから、
知識としてポピュラーなものだとは思うのですが。
太郎さんの時代においては、
縄文土器は、まだ一般的ではなかった。
もしくは、今と同じようにして、
学校の授業等で習いながら、なので、
太郎さんもその存在を知ってはいながらも、
そのとき、あらためて
縄文土器の姿を見たことによって、
これまでの知識をすべて捨てるかのように、
新しく、と申しますか、つまりは、
全く別のもののように感じられたのか?!

と、こういうふうに考えるときにね、
やっぱり、思うことは、
ぼく自身だったらそのときどう感じるのか?
ってゆうことなのですが。

まずは、前者のね、それまで
全く見たことなかった縄文土器を
初めて知って、見た、とすれば、
ぼくはどう思うんだろうかなあ。
でも、たとえば、
なんだか、すごい、とかは思ったとしても、
「なんだ、これは!」って驚嘆する、
みたいなことはないやもしれないかなあ。
そして、後者のね、
あらためて縄文土器を見たとしても、ぼくは、
それをすでに知っているんだから、
この形はやっぱりすごいなあ、とは思ったとしても、
衝撃を受けて、驚嘆して、そして、
その価値を再発見する、
みたいなことには成らないんだろう。

そう考えてみれば、ぼくは、
つまり、ぼくの感覚ってえのは、
とても閉じているよなあ、って感じられる。

ともすれば、たとえば、
初めて見るものを見ようとするときには、
初めて見るような目で、見ることができたいし。
すでに知っているものを見るときには、
すでに知っている、とは思わずに、
知識とか先入観とか無しで見ることができたらなあ。

縄文土器を見て、
「なんだ、これは!」と思われた
岡本太郎さんは、この世界を
どのような目で見ておられたのかなあ???

令和5年2月17日

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