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ハッピーなターン。(happy turn_mix)

「原点回帰」ということばについて、
なんだか、考えている。

「原点回帰」とは文字どおり、
基本や初心や出発点へと立ち返る、つまり、
原点の場所に帰ることだとはぞんじますが。
でも、ただ、スタートの位置まで「帰る」だけでは
「原点回帰」にはならないのではないか?!
というふうにも思っていて。
つまりはさ、「原点回帰」って
「原点に帰る」だけでなく、そのことばの中には
「回」という漢字も入っているから。
ともすれば、たまに
ふらっと帰ることではなくって、
ぐるっと一周して、回ってきて
原点へと帰ってくるから「原点回帰」となる。

でも、そんなふうにして
一周回ってきたとすれば、
確実に、かつ、ピンポイントに、その
原点の位置へと帰ってこられるものなのだろうか。

たとえば、公転している地球は一年後、
宇宙空間の全く同じ位置に戻るのかどうか、
ってゆうのはぼくは知らないですが、でも、
ぼくらは地球ではなくて人間なのだから、
一周回ってくるあいだには、時が経ち、
齢は取るし、社会も変わるし、じぶんも変わる。
そんなときには、あらゆる変化もあるだろうし、
角度的及び距離的な誤差もあるやもしれないし、
はたまた、ぐるっと回ってきたのだとしても
それは螺旋階段みたくなっているやもしらないし、
そう考えれば、ジャストで原点へと降り立つなんて
むつかしい気もするのよね。

つまり、ほんとうの意味では
「原点回帰」なんてありえない。

言い換えれば、
「原点回帰」をしたとしても、もしくは
「原点回帰」をしようとしても、
「原点」と全く同じには成らないんだろう。

そういうふうに考えるとすれば、たとえば、
このごろのぼくのブログでも感想を記しております
くるりの最新アルバム『感覚は道標』のことで申しあげますと、
約20年ぶりにバンドのオリジナルメンバーで集まって
音楽が制作された、とのことなので、
「原点回帰」の作品だと言われているともぞんじますが。
ドキュメンタリー映画『くるりのえいが』では、
たしか、佐藤さんが、オリジナルメンバーとは
バンドの「原型」とおっしゃっていたと思うのですが、
はたまた、岸田さんは
「『くるり』が『くるり』になるために」
とのようにもおっしゃっていて。
このことがね、いわゆる
「原点回帰」なのかどうか? って、
ぼくにはくわしくはわからないけれども。
でも、なんだか、そんな
「原点回帰」にはおさまりきらないのかなあ???

でもさ、たとえば、
「くるり」とはバンドの名称が
「くるり」なのだから、つまり、
くるりと回ってきての今、この
『感覚は道標』という作品なのだとも言えるかなあ。

『感覚は道標』の一曲目に収録されている
『happy turn』という曲のタイトルで入っている
「turn」の英単語とは、たとえば、
「順番」とか、「機会」とか、「逆転」とか、
「ひっくり返す」とか「迂回する」とか、もしくは
お菓子の「ハッピーターン」のこともあるともしても、
やっぱり、それは
「回転する」という意味なのだとすれば、
『happy turn』というタイトルとは
「しあわせな回転」つまり、いわば
「ハッピーな原点回帰」とも考えられるかなあ〜。

このうえのところでね、「回帰」に関して
地球の公転で考えてみたけれども、ならば、
北半球の「北回帰線」及び
南半球の「南回帰線」のことも考えられるけど、
その線に立ったとき、人は
何を考えるんだろうか?

喉越し 痞えそうな言葉と
むせ返りそうな夢の続きを♪

令和5年10月31日

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