表紙19

其の九十五 否定することもできない。

《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(平成20年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

ども、こんにちわっ! 本日も吉本さんの講演を聞いてゆきます。

前回noteでは、「ならば、いっそのこと太宰治のように『価値なんて芸術にはねぇんだぁ!』として。良い価値のものが売れなかったり、そうじゃないものが売れたりする、そんなことはごく当たり前のことで問題にするに当たらない、という考えかたをやる人が出てくるのが当然だと思いますし。それは悪くないので。手直しをして労働価値を多く加える、ということは、必ずしも作品を良くするとは限らない。とは、作品を何か書いたことがある方ならばすぐ実感的に理解することはできると思います。」と吉本さんおっしゃるばめんでした。

つづきだよ。。。

つまり、そういうこととは関係…。芸術の価値は関係ないところに存在する、っていうことは言うまでもない。(チャプター13 / 時間をかけるほど芸術的表現は価値を増大するか_6:11〜)

「つまり、芸術の価値は、手直しをして労働価値を増そうとすることと関係のないところに存在します。」

その価値というのは、自己表出と自己表出が出会うところにしか求められない、ってこと。

「その芸術の価値とは、自己表出と自己表出がであうところにしか求められない。」

出会う、というのは、偶然である、と。

「その『であう』とは、ぐうぜんである。」

それで、偶然以外には、芸術は、価値を強要することもできないし。否定することもできない。

「ぐうぜんのであい以外には、芸術は、価値を強要することもできないし、否定することもできない。」

‥‥の、ここのところで吉本さんおっしゃることもかっこいいなぁ、とおもいまして。「強要することもできない」というのは以前にも聞きましたが、さらに「否定することもできない」って、なんだかすてきー!

そのぐうぜんのであいで「価値」を感じたならば、もうその「価値」はだれのものでなく、じぶん自身のもの、っていうかさ。うまく言えないんだけれど、そんなふうに感じました。

講演をつづけます。。。

もちろん、たくさん、たくさん売れたから価値がある、とも言えないし。たくさん売れたから、僕、ダメだ、ってのも言うわけにもいかないんですよ。

「もちろん、たくさん売れたから価値がある、とも言えないし。逆に、たくさん売れたからダメだ、とも言うわけにはいかないんですよ。」

‥‥という、こんかいはこのところまでぇ。つづきは次回noteで聞きます〜。よい1にちを。。。

平成28年11月17日



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