表紙19

其の九十四 価値なんて

《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(平成20年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

こんにちは。そして、ききましょう。

前回noteでは、「芸術の価値は、即興的に書いたって良い作品ができたということはありうるんですよ。だから、力を入れて手直しして労働価値を増せば良い作品ができるというのは、芸術には、あるいは芸術文学には成り立たんですよ、って。そこのところでいわゆるファンクショナリズムと言いますか、機能的に重要と見る見方を、僕はいつでも危ないなぁ、危ないなぁ、と思う点なんで。」と吉本さんおっしゃるばめんでした。

つづきです。。。

あの、それならば、いっそのこと太宰治のように「価値なんて、芸術にはねぇんだぁ!」って、して。(チャプター13 / 時間をかけるほど芸術的表現は価値を増大するか_5:22〜)

「ならば、いっそ太宰治のように『価値なんて、芸術にはないんだ!!』として。」

いい価値のが売れなかったり、そうじゃない価値のものが売れたりする。そんなこたぁ、ごく当たり前のことで。

「よい価値の作品が売れず、そうではない作品が売れたりする。そういうことは、もうあたりまえで。」

どう、そんなこと、問題にするに当たらない。っていう考え方をやる人が出てくるのも当然だ、っていうふうに思いますし。

「そんなことは問題にならない、とかんがえるひとが出てくるのもとうぜんだとおもいますし。」

それは悪くないので。あの、えー。

「そういうことは、わるいことではないので。」

手直しをする…、して、労働の価値を多く加えるっていうことは、必ずしも作品をよくするとは限らない。って言うことは、

「手直しをして労働価値を増そう、ということは、かならずしも作品をよくするとはかぎらない、とは、」

作品をなんか書いたことがある方ならば、すぐにそれは理解することは、実感的に理解することはできると思います。

「なにか作品を書いたことはあるかたなら、すぐに実感的に理解できるとおもいます。」

‥‥と、ここのところを聞いて思い出したのはさ、プロダクトデザイナー・深澤直人さんが著書『デザインの輪郭』のなかで【刺身を切るとき、包丁を何度も往復させたらまずそうです。】(134頁より引用です。)とおっしゃっていたことで。それは、たしかに美味しくなさそうで。でも、なかなか、どーしても僕なんかは包丁(的なもの)を入れたがったりしてしまうこともあるので、むつかしいんだけれども。。。

それではぁ、このつづきはまたもや次回noteで聞きます。ブリとかを、おさしみで食べたいー!

平成28年11月16日



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?