王様の耳と欧風のシチュー。
比喩という表現にも、
いくつかの種類があるとのことでして。
そのなかでもね、いちばん一般的なのは
「直喩」なのだと存じます。
「直喩(明喩)」とは、たとえば
「〜のような」というような語句を含めながら、
あるものを、それとは別の
「なにか」にたとえる表現方法なのだけれども。
例を挙げてみれば、
「王様の耳は、ロバの耳のようだ。」
という風に言うとすると、その王様の耳は
ロバの耳のような、つまり、
つんと突っ立っていたり、もしくは
ぴょんぴょん動くような耳なのやもしらない。
そして、この逆として
「〜のような」というような語句を含めず、
あるものを、それとは別の
「なにか」にたとえる表現方法のことは、
「隠喩(暗喩/メタファー)」と言われるけれど、
この「暗喩」というのは、
けっこうむつかしいなあと思う。たとえば、
「王様の耳は、ロバの耳だ。」と言えば、その王様の耳は
ロバの耳のような、つまり、
つんと突っ立っているような耳なのやもしらないし、
それとも、正真正銘、
王様の耳はロバの耳である、
という場合があるのかどうかは知らないけれども。
もしくはさ、それはいわゆる
「王様の耳は、ロバの耳!」
って、穴の中へと叫ぶ人が登場する
物語からの引用であるやもしらない。
「王様の耳は、ロバの耳!」ということばには
「〜のような」の語句が入っていないので、
直喩ではない。かと言いつつ、
比喩ではない、つまりそれが
現実の出来事なのだとも言い難いし、
そして、でも、
直喩でもなく現実でもないとして、ならば、
暗喩なのかどうかもわからないな。
強いて言うともすれば、
物語なのだと言えるかなあ〜。
でも、そう考えてみると、
「物語」って、なんだろう?!
たとえば、この
「王様の耳は、ロバの耳!」
とのように叫ばれる物語とは、
「なにか」が示唆されているのだろうか。
もしも、そこには
「なにか」が示唆されているとすれば、
この示唆とは、暗示であり、つまり、
暗喩であり、それはいわゆる
メタファーなのだと言えるだろう。
そう考えてみるともすると、
「物語」とは、そのすべてが
メタファーなのだとも考えられる。
つまりはさ、「比喩」とは、文章の中に
「〜のような」というような語句が
入っているかどうかだけに限らず、
複数の文が連なっている文章の内容全体が、
あるひとつの暗示となっている場合には、
その暗示が暗喩であり、つまりは
比喩なのだと考えられる。
「直喩」として含められることばには、
上記における「〜のような」だけでなくって、
「たとえば」とか、「まるで」とか、
「あたかも」とか、「ごとく」とか、
「みたいな」とか、「らしい」とか、
「ほど」とか、「っぽい」とか、
「なんとか的」とか、「なんとか調」とか、
「なんとか系」とか、「なんとか風」とか、
というのも挙げられると思うけれども。
これらのなかでもね、とくには、
昨日のブログの中で申しあげました無印良品の
『欧風ビーフカレー』を食べながら思ったのは、
「欧風」つまり「ヨーロッパ風」などなどの
「なんとか風」とは、どうして、ことばとして
「風」なんだろう? それはね、このごろ
「風」について考えていたタイミングで食したからこそ、
考えてしまったと思うんだけれども。
なぜ、「風」なのか?! ってえのは、
けっこう不思議だなあと感じました。
王様の耳はロバの耳、ならぬ、
王様の耳はパンの耳!
という一節を目にしたことがあるのですが、
それは、いったい、どんな耳なのだろうか?
そのパンの耳を、欧風のシチューにつけて食べたら
おいしいのかどうなのか?!!!
令和6年3月27日