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日々のすれ違いを。

割と良くある日々のすれ違いを、
他人のせいにしてもしょうがないから、
とは言いつつも、それでも、そのすべてを
じぶんのせいにもしたくない、
とも思ってしまうんだ。

そういうような日々のすれ違いとは、
どちらかが、もしくは、どちらともが
なんらかの筋違いをしているため、
とは思うけれども、その筋違いは
なかなか解消されないまま、つまり、
筋違いを抱えたままの状態で、
この日々は過ぎてゆくのでしょう。

なぜ、すれ違いが
なかなか解消されないのか?
というのを考えてみても、ぼくとしては
ちゃんとしたことはわからないんだけれども、
やっぱり、お互い、言いにくい、
ということもあるだろうし、それはでも、
言いにくい、という面だけでなくって、
言いがたい、と申しますか、つまり、
そういうのってば、お互い、話すのが
むつかしい、という理由もあると思うの。

もしかしたら、そのことを
言えば言うほど、
喧嘩のようになってしまうやもしらないし、
ともすれば、すれ違いから
仲違いにまで発展してしまうやもしらない。

ならば、そのことを
言わないほうが良いのか?
というわけでも無いと思うから、
ややこしいし、もどかしいし、むつかしいし、
でも、すれ違いや筋違いを
抱えたままで過ごすのも、くるしい。
そんな状態では、
お互いが、よそよそしい。

だからこそ、お互いで
話さなきゃいけない、とは思えども、
話したとしても、完全に
解決できるかどうかもわからないから。

だったら、はじめから
すれ違いなんて、筋違いなんて、
起こらなきゃ良かった!
なんて思ってみても、
そうもゆかない、というか。
じぶんも考えて、なおかつ、
相手も考えるこの日々において、
すれ違いも、筋違いも、
日常茶飯事で起きてしまうものだから。

そんなときにはさ、
お茶でもしながら、
相手のせいにもせずに、また、
ことさらじぶんのせいにもせずに、
お互いで話せたら良いのだけれども。

すれ違いや筋違いへと至る要因ともなった
ボタンの掛け違いが、うまいこと、
お互いのボタンがちょうどはまる
ボタンホールの場所へ戻れたら良いのに。

今日はほら 天気がいいから

令和5年7月11日


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