見出し画像

できないこと。(二軸論ver.)

このごろはね、ニンテンドースイッチのゲーム
「スーパーマリオオデッセイ」をプレイしているの。

このゲームは2017年に発売されているのですが、
当時、ぼくはスイッチの本体を持っていなくて、
その後本体を購入してからプレイしたいと思いつつ、
先日、ようやくソフトを購入いたしました。
今はストーリーをクリアしまして、クリア後の世界で
これまで訪れた各国をあらためてめぐりつつ、
「パワームーン」を集めているのよね。

世界各地にたくさんある「パワームーン」を
ひとつずつ集めるうえでは、たとえば、
アスレチック的なアクションを攻略したり、
謎解きをしたり、ミニゲームに挑んだり、という
いろいろプレイしてゆくのですが、それらのなかには
なかなかむつかしいものもあって。とくにはさ、
やり方はおそらくこうするというのはわかるけど、
ぼくのコントローラーの操作が覚束なくて、
できない、というときは歯がゆいというか、
何度もプレイして失敗しては、画面に向かって
ひとりで「くそがっ!」とか叫んでる。
でも、そういうときこそできたらうれしい。

ってゆうときにね、ひとつ考えたことがあって。
たとえば、前回noteでは、
「『わかる』のか『わからない』のか、という
 二元論で考えること自体が、
 よいことなのかどうかだってもわからない。」
というのをしるしたのですが、この
「マリオオデッセイ」をプレイしながら思ったのは、
「わかる/わからない」及び
「できる/できない」という、
二軸で考えるとよいかも? って。

つまりはさ、たとえば、
x軸には「できる/できない」
y軸には「わかる/わからない」を置いた
マトリックス図を描くとします。

すると、この図のような
四つの区分に分かれるけれども。
考えてみれば、このことって
ゲームに限らずいろいろに言えるのかもなあ。

まずはね、「1」の
【わかる&できる】は良いとして、
【わからない&できる】の「2」は
そういうこともあるとも思う。たとえば、
よくわからなくてもたまたまできちゃった、とか、
もしくは、理屈抜きにして感覚的にできてしまう、
というような天才肌がこのタイプやもしらない。
【わかる&できない】の「3」はね、
ぼくがこの上で申したような
「わかっているけどできない」というパターンだなあ。
そんなときにはさ、より良い方法を考えたり、
練習したりすることによっていつか「できる」と思われる。
わかっていてもできないことって、たくさんあると思うの。
【わからない&できない】の「4」については、
これはとってもむつかしい。
「マリオオデッセイ」で言えば、
なにこれ? よくわからん?! と思える場合には、
ひとまずそこは置いといて別の「パワームーン」を探しにゆく。
でも、実際問題で言うとすれば
どうしたら良いんだろうねえー?

「わからない」かつ「できない」という場合では、
そのことが、べつに
できなくても良いというものもあると思う。
なにからなにまでなにがなんでもできないといけない、
ってゆうわけでもないんだから。
でも、もしも、そのことがどうしても
「できる」ようになりたいんだとしたら、
どうすれば良いんだろうか。
このことでぼくが考えるのは、
闇雲にできようとするよりかは、まずは
「わかる」からスタートすることかなあ。

つまり、マトリックス図の「2」のような
【わからない&できる】のときは、
わからなくても良い、けれども、「4」のような
【わからない&できない】のときには、
「わからない」を「わかる」にすることが
「できる」ための近道なんじゃあないか。
そういうふうに考えるとすれば、「わかる」とは、
「できる」ための大切な要素なのかもしれないなあ〜。

もうひとつだけまたもやけっこうむつかしいのは、
【わかる&できない】の「3」のときには、
この逆の言い方として
「できないけど、わかる。」と思うことによって、
いい気になってしまうのは、あぶない、というか。
なんとゆうか、たとえば、
「できない」けど「わかる」ことを
評論家気取りで語ってしまうようなときには、
この場合なのやもしらないか。
このことはさ、ぼくだっても気をつけたい!

「スーパーマリオオデッセイ」をプレイしながら、
このことも考えながら、まだまだ、ちくちく
「パワームーン」集めに励んでゆけたいっす。

令和5年10月1日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?