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わからないこと。(二元論ver.)

わからないことを、どうしたら
わかることができる?

人に訊ねたら、わかるのか。
本を読んだら、わかるのか。
書き出したら、わかるのか。
相談したら、わかるのか。
勉強したら、わかるのか。
整理したら、わかるのか。
調べたら、わかるのか。
探したら、わかるのか。
考えたら、わかるのか。

そうして、
わからないことが
わかるものもある。

そうしても、
わからないことは
わからないままのものもある。

そうしたら、
わからないことが、さらに
わからなくなるものもある。

そうして、
わからないことは
わかったとしても、そこからさらに別の
わからないものが登場することもある。

そうしなくって、
わからないことは
わからなくとも、さらに別の
わからないものも登場することもある。

そこで登場したさらなる
わからないことを、どうしたら
わかることができるの?

それとも、登場するあらゆる
わからないことを、
わからないままでいるほかないの?

ぼくは、たとえば、
わからないことを
わからないままでいるよりかは、
わかろうとしたい。でも、
わかろうとしても、それでも
わからなかったとしても、
わかろうとしただけで、
じぶん自身の世界は広がる、
と信じたいけれど。

答えが用意されていない問いならば、
なおのこと、どうしても
わからないんだろう。

先生へと教えを乞うても、
参考書を持って挑んでも、
頭の中で考えたとしても、
わからないものは、
わからないならば、もはや、
「わかる」ということが
どういうことなのかさえ、
わからないな。

そもそも、
「わかる」のか「わからない」のか、という
二元論で考えること自体が、
よいことなのかどうかだっても、
わからないぜ。

そういうようなことも
わかるためには、ぼくはどう
かわる?

令和5年9月30日


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