表紙9-1

第42回 一般的なメタファーならば、

【吉本隆明さんの『喩としての聖書−マルコ伝』という講演をゆーっくり聞くシリーズをね、やろうと思ったのでやっています。だい42かいめ。】

こんにちはー!

前回noteでは「直喩(シミリ)」と「暗喩(メタファー)」について。からのつづきを、、、

そうするとね、あの。この今の例で言いますと、奇跡って言うのはね。この新約書の主人公がねぇ、聖書のなかで演ずる奇跡があるでしょ。さまざまな奇跡があるんですよ。(チャプター08 / 奇跡を言葉の面から理解する_6:25〜)

聖書のなかにはさまざまな奇跡があり、

奇跡っていうのはなにか? って言ったらね、メタファーなんですよ。メタファーなんです。

その奇跡とはなにか?! と言えば、それは「メタファー(暗喩)」なんです。と。

ところで、あの。一般的なメタファーならば、普通のメタファーならば、

ところで、それがふつうのメタファーなら、

たとえば「あのひとの目はゾウだ」とかね、「まるでゾウだ」とかって言えば、誰にでも一応は、どんなひとにでも「あぁ、それは『ゾウのように細くて、それで柔和だ』っていうことを、言おうとしてるんだな。って言うふうに誰にでもわかるでしょ。

どんなひとでも「こういうことを言いたいんだな」ってことがわかるけれど。

ところが、奇跡って言うのはわからないわけですよ。

ふつうのメタファーじゃあない「奇跡」て言うのは、よくわからない。

つまり、我々が合理的に言い換えしても。聖書のなかでも奇跡のところを読んでもね、なにも。つまり「海が荒れてるのをしずかに成れ!」って言ったって、しずまるわけはないじゃないか。って、誰でも思うわけですよ。だけど、

聖書のなかの「奇跡」を読んでもわからない。つじつまが合わない、みたいな??? だけれども、

そういうふうに書かれているわけですよ、言葉で。そういうふうに書かれているわけです。

聖書では、そーいうふうにことばで記されてる。

それはどういうことか? って言うとねぇ。あの。つまり、普通のメタファーだったらば、人間の目があってね。で、ゾウの目がある、と。それで、それをね、結びつけるわけです。

それはどーいうことか?! と言えば、たとえばそれがふつうのメタファーならば、「人間の目」と「ゾウの目」を、

「あのひとの目はゾウのようだ」って言うふうに結びつけたり、あるいは「あのひとの目はゾウだ」ってふうに言ったりして、結びつける。それがメタファーなんです。しかし、

ことばで結びつける。しかし、

それは誰にでも一応はわかるわけですが、わかるメタファー、「喩」なわけなんです。

それは誰にでもわかるメタファーであり、「喩」であるけれど。ぎゃくに奇跡と言うのは‥‥ このつづきはまたまた次回noteで〜。あついので、たいちょーをかんりしたい。。

平成28年7月20日



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