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「目的化」しているのではないか?

先日はね、田中泰延さん・直塚大成さん共著
『「書く力」の教室』を読みました。
この書籍では、プロのライターを志す直塚さんが
ライター田中さんのもとへとお弟子入りをされて、
ライティングの全スキルを学ぶ、という内容なのですが。
ぼくはライターを目指す者では無いけれども、でも、
「文章を書く」とは何か? ということを、
直塚さんが学ばれる様子を垣間見ながら、
ぼくも一緒になって学び考えるのごとくの読書体験で。
おもしろくもありながら、でも、
厳しい田中さんの講義のことばを感じながら、
ぼくはぼくとて、何ができるんだろう?
と思いながら頁をめくっておりました。

約400頁に及び書籍では、たくさんの
ライターのスキルのことが書かれていると存じますが。
それらのなかでもね、日々、
ブログをしるすぼくといたしましては、
「書くことが目的化してしまうと意味がない」
と、田中さんのおっしゃる場面を読み、
田中さんのおっしゃることとはちがって
解釈しているやもとも思うのですが、
あぁー、しまった、それはぼくのことだなあ、
と感じておりました。

直塚 訓練とは、理想を真似しながらオリジナルなもとを書いていくことですか。
田中 そやねんけど、理想は常に自分の外側にあるとは限らないんや。仕事で人に褒められたことを理想形として反復する、つまり自分で自分の真似をするのも訓練のうちなんです。(中略)
直塚 ええと……訓練って「とにかく毎日書け!」みたいな100本ノック風のことですか?
田中 うーん、ちゃうな。それだと書くことが目的化して、あんまり意味がないと思う。そもそも「何でもいいから毎日、2000字書くんだ!」とか言っている人に限って、自分の中に理想像がない場合が多いねん。

田中泰延さん・直塚大成さん共著『「書く力」の教室』227-228頁より

ぼくは、こうして日々
ブログを記しているけれど、とは言えども、それは
多くの人に読まれる内容では無いと思えるし、
そもそも価値も無いんだろう、とも思えるし、
でも、それでも、じぶん自身にとっての
大事なことを記したい、と思いながら、
けれども、それが、
どれだけ実現できているのか? って考えると、
うなだれてもしまうのですが。
どちらかと言えば、田中さんの言われるような
【書くことが目的化して】いるのではないか?!
と、じぶんでは思っている。

ならば、どうするのか?

たとえば、こうして、ブログを
書くことを辞めるべきなのか?
ってゆうのもね、それはそれで今度は
「ブログを辞める」ということ自体が、
「目的化」してしまうような気もする。

「続ける」も「辞める」も、
「やる」も「やらない」も、
良いふうにできたらいいんだけれど。

令和6年2月19日