「目的化」しているのではないか?
先日はね、田中泰延さん・直塚大成さん共著
『「書く力」の教室』を読みました。
この書籍では、プロのライターを志す直塚さんが
ライター田中さんのもとへとお弟子入りをされて、
ライティングの全スキルを学ぶ、という内容なのですが。
ぼくはライターを目指す者では無いけれども、でも、
「文章を書く」とは何か? ということを、
直塚さんが学ばれる様子を垣間見ながら、
ぼくも一緒になって学び考えるのごとくの読書体験で。
おもしろくもありながら、でも、
厳しい田中さんの講義のことばを感じながら、
ぼくはぼくとて、何ができるんだろう?
と思いながら頁をめくっておりました。
約400頁に及び書籍では、たくさんの
ライターのスキルのことが書かれていると存じますが。
それらのなかでもね、日々、
ブログをしるすぼくといたしましては、
「書くことが目的化してしまうと意味がない」
と、田中さんのおっしゃる場面を読み、
田中さんのおっしゃることとはちがって
解釈しているやもとも思うのですが、
あぁー、しまった、それはぼくのことだなあ、
と感じておりました。
ぼくは、こうして日々
ブログを記しているけれど、とは言えども、それは
多くの人に読まれる内容では無いと思えるし、
そもそも価値も無いんだろう、とも思えるし、
でも、それでも、じぶん自身にとっての
大事なことを記したい、と思いながら、
けれども、それが、
どれだけ実現できているのか? って考えると、
うなだれてもしまうのですが。
どちらかと言えば、田中さんの言われるような
【書くことが目的化して】いるのではないか?!
と、じぶんでは思っている。
ならば、どうするのか?
たとえば、こうして、ブログを
書くことを辞めるべきなのか?
ってゆうのもね、それはそれで今度は
「ブログを辞める」ということ自体が、
「目的化」してしまうような気もする。
「続ける」も「辞める」も、
「やる」も「やらない」も、
良いふうにできたらいいんだけれど。
令和6年2月19日