生き延びられる者は生き延びよ。
内田樹さんのどの著書だったかはうろ覚えですが、
「ソーヴ・キ・プ」ということばを、
あるとき内田さんの書籍で知りました。
この「ソーヴ・キ・プ」についてあらためて
ネットで検索して調べてみると、内田先生の
ブログやSNSの中でもいくつかお話しされていて、
このごろ、また、あらためて
「ソーヴ・キ・プ」のことを考えておりました。
「ソーヴ・キ・プ」とは、フランス語で
「sauve qui peut」と記し、その意味は
「生き延びられる者は生き延びよ」
とのことなのでして。たとえば、
難破して操縦不能になった船の乗組員や、
戦線が崩壊し指揮系統が機能しなくなった兵士たちに、
船長や指揮官が最後にこのことばを告げる。
つまり、指揮官であるわたしがあなたたちに
どうすべきかを命じることのできない局面となった。
あとは、自分自身の才覚によって生き延びてくれ。
という、指揮官からの
「最後の命令」であり、そのことばが
「sauve qui peut」なのだった。
このことばについてあらためて考えながら
思い出していたのは、ぼくは
東日本大震災のときに存じました
「津波てんでんこ」です。このことばとは、
大地震が起き津波がやって来る際には、
てんでんばらばらにいそいではやく逃げよ。
という意味で、てんでんばらばら、
つまり、ひとりひとりで逃げなさい。
という意味なのだと存じますが、フランス語の
「ソーヴ・キ・プ」もまた、
自分自身の才覚によって生き延びよ、
という意なのだから、つまりは
「てんでんばらばら」なのだと考えられる。
てんでんばらばら、かつ、
自分自身の才覚によって逃げる、
というときには、たとえば、その場に居る
「だれか」を助ける必要はない、
という意味でもあると思われる。
つまり、お年寄りがそこにおられて
動きづらそうにしている、そのとき、
ある若者がお年寄りをおぶって逃げる、
とすれば、もしかしたら
その若者によってお年寄りは助かり、
二人ともその場から逃げられる、
ということもあるともしても、
ある場合には、若者がひとりで逃げるよりも
お年寄りを背負うほうが動きも遅くなり、
二人とも助からない状況もあるのだろう。
だからこその
「津波てんでんこ」であり、
「ソーヴ・キ・プ」である。
そう考えるときにね、でも、頭では
わかっていたとしても、ほんとうに
ひとりで逃げることはできるのだろうか?!
たとえば、ぼくは結婚をしておらず
子供も居ないので、避難における
幼い子供が居る、という状態はわからないのですが。
高齢者となった母親とは住んでいるので、
そんな状況となってしまった場合、ぼくは
母のことをどう思えばよいのだろうか?????
このことを考えるとね、
こころがくるしくなるし、そして、
泣けてきてもしまうけれども。。。
でも、やはり、大切なのは
「ソーヴ・キ・プ」の精神によって、つまり、
難局の局面では、じぶんの
個人の才覚によって生き延びるほかない。
このことばを、今、また、
じぶん自身の座右へと置いておきたい。
なにか事態が起きた際において、この場所に
じぶん自身が居ることを知らせる「笛」とともに。
令和6年8月11日