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過ぎ去りし時と世界の成り立ちと。

(今回のブログではゲーム内容のねたばれがあります!)

4月半ばごろから、ぼくはこれまで未プレイでした
Nintendo Switchのゲームソフト
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S」
をプレイしておりまして。
先日のGWでの連休もね、ひたすら
「ドラクエ11S」の世界を冒険して過ごしながら、
このごろようやく、まだ、やりこみ要素は残れども
そろそろ終えどきかなあと思っているの。
裏の真ボスみたいなのがめっぽうつよくって、
これ以上はちょっとぼくにはむつかしい。

なぜ、今、未プレイだった「ドラクエ11S」を
やってみようと思ったか? ってゆう理由はね、
もろもろあるですが、たとえば
PS4やニンテンドー3DSも持っていないぼくは
「ドラクエ11」をプレイしていなくて、そして
令和2年の秋ごろ、Switch本体を購入してから
かねてからあそびたい、と思いつつ、
今年の4月のときになって、なんとなく
今かなあ? って考えてパッケージ版購入しました。

ドラクエシリーズでは、ぼくは
「9」と「10」をプレイしていないので、
このたびの「11S」はね、PS2の「8」及び
DSの「6」以来だったとぞんじますが、
とってもたのしかったなあ〜。

だんだんともりあがってゆくストーリーが
すごかったし、また、これまでの
ドラクエシリーズのベスト盤のごとく内容というのも
素敵だったし、そして、
鳥山明さんデザインの味方及び敵の
キャラクターのアニメーションは愛らしくって、
はたまた、プレイ全編でかかっている
すぎやまこういちさんの音楽は、
ずっと聴いてたいとも思えて心地よかった。
なんと申しますか、ゲームを遊んでいてこれほど
ちょうど良い! と思えながらプレイしたのは
あんまり無かったやもしらないぐらいに、
「ドラクエ11S」すばらしかったです。

以下のことはゲームの重大なねたばれとぞんじますが、
あるシーンにおいて、サブタイトルの
【過ぎ去りし時を求めて】
ということばの意味が見えてくるようなときがあって。
「過ぎ去りし時」つまり、
「時間」がキーワードになっていて、
それもね、さらに言うならば
壮大な大河ドラマのようと申しあげますか、
うまく言えないですが、プレイする前には
冒険によってこんな地点までたどりつけるなんて、
想像もしていなかったな。

これまで、ドラクエシリーズをプレイしながら
けっこういつも考えるのは、
世界中を冒険しながら、経験をつんで
主人公たちがつよくなってゆきながら、
世界を支配しようとする悪をたおす、
というようなことだけでなくって、たとえば、
世界の理(ことわり)を知る、的な?!
つまり、ふつうに暮らす市井の人たちでは
知り得ない、かつ、入ることができない場所で
世界の成り立ちを垣間見ることによって、
問題を解決する、みたいな、そういう
ストーリー性をよく思うのだけれども。
そういうのってば、たとえば、この上でも申しあげました
「ドラクエ」シリーズではキャラクターデザインをなされる
鳥山明さんの漫画作品『ドラゴンボール』でも、
同じようなことが言えると思えていて。
つまりはさ、この世界の中では、じつは
こういう事象が存在していた、みたいな。。。

そういうことって、でも、
「ドラクエ」や「ドラゴンボール」のごとく、
世界を旅しなければ出合えないものなのか?
と思ってしまうと、どちらかと言えば
ひきこもり体質のぼくとしては、ぼくには
絶対に知り得ないことがあるのだなあ、
ってえのも考えてしまうけれども〜。

令和6年5月26日


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