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「ハマる」も「飽きる」も良くも悪くも。

前回noteでは、ぼくは今、先月発売なされました
Nintendo Switch用ゲームソフト
『不思議のダンジョン 風来のシレン6 とぐろ島探検録』をね、
日々、プレイしていることを申しあげましたが、
まあ、言うならば『シレン6』というゲームに
「ハマっている」ということよね。

「ハマる」ということばって、案外、
「それが好き」的な良い意味として使われるような
イメージもあるけれど、また、このごろでは
「沼」という言い方も聞くけれども、とは言っても
『シレン6』を始めてからなかなか本も読めてないし、
いろいろやらんといかんことも滞っているし、
シレンはたのしいしおもしろいけど、まさに
沼にハマって、身動きが取れなくなって、この状態は
「良い」とは言い難い面もある気もする。
そういうような「ハマる」とは、ある意味では
「依存」とも言えるやもしれん。

テレビゲームというのもね、ぼくの場合はハマると
そのゲームばかりになってしまうようなことがあるから、
こわいと言えばこわいし、でも、逆に
どうしようもない悩みごとがあるときには、
ゲームをしていれば、その
ゲームのことばかりを考えてしまうことで
その悩みごとからじぶんの気が逸らされるから、
それによって救われたことも幾度もあるなあ〜。
つまりはさ、「ハマる」という概念って
良くも悪くも、だと思える。

そういうような状況より考えてみるともすれば、
たとえば、毎年の年始において
今年の「目標」を立てるとして、でも、
その年の日々が過ぎてゆくなかでは、なかなか
目標として立てた物事をこなすことができない、
ってゆうときには、それはつまり、その目標のことに
「ハマってない」からできないとも言えるのかなあ。
つまり、目標を立てるというのは
頭で考えたことだからこそ、それをしなければ
じぶんの身体がうずいてしまってしかたがない、
という状態ではない。逆を言えば、
そのことにハマってしまえば、
沼にハマるかのごとく、つまり、依存のごとく、
そのことだけを行なってしまうようになるのだから。
何かのしたいことを習慣化させるためには、それに
「ハマる」ことが重要なのだと思える。
でも、何度も申すけれども、
「ハマる」とはつまり「依存」でもあるから、
じぶん自身の理性をたもったままで、
ハマっていることをしつづけるというのも、
ぼくにはむつかしいとも思ってしまうの。

そして、そんな
ハマっているゲームでもね、あるときには
プレイをやめてしまう日が来るのだろう。
それはさ、そのゲームにおいて、
すべてのステージをクリアしたときとか、
収集要素等をコンプリートしたときとか、
むつかしすぎて諦めてしまったときとか、
つまり、そのことに「飽きた」とき
そのハマっていたことをやめる。
(このことは依存症等の身体症状においては、
 言えないとは存じております。)
「ハマる」ことより「抜け出す」には、そのことを
頭で「やめよう」と考えても抜け出せなくって、
身体が「飽きた」と思うしか、ない。

さっき、このうえのところではね、
「ハマる」とは良くも悪くも、
って記したけれども、逆を言えば
「飽きる」というのも、
良くも悪くも、なのやもしれん。
つまりはさ、何事も「飽きる」ことによって
次の段階へと進められることもある、と申しますか。
そんなようなことを考えながら、今は
『風来のシレン6』にハマっているの。

令和6年2月17日

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