第69回 全く新しい形
[前回noteよりひきつづき、吉本隆明さんの講演『現在をどう生きるか』(開催日時:1995年9月3日)をゆっくりじっくり聴きます。講演音源は吉本隆明の183講演より。ほんじつは、第69回めなんじゃ〜。]
はいっ、こんにちはぁ。ぜんかいには、、
「そうすると、関西地区における神戸地区なら神戸地区を中心とする復興っていうのは、日本社会におけるこれからの未来の方向に対して一種の模範って言うか、前駆的なやり方って言いますか、つまりお手本と言いますか。それにならないといけない、っていう課題を持ってると思います。
関西にある神戸地区の復興とか救済っていう問題が、もしその課題を成し遂げながら復興して行ったら、他の都市や地方の模範に成り得るし。
また、日本国の未来の社会はこう行くぜ。っていうお手本になったら、誠に新しい善悪基準における見事な復興の仕方と言うことができます。」
のところを聴いたんじゃったわ。じゃあ、つづきぃぃいぃー。。。
その、そういうことは無くって、要するに、今までの政府がこのくらいの予算で不況の中からこれだけ出して、で、それでもって地方自治体がこう出して。で、地方自治体の言う通り、こういうに…、えー、こういうに家を建てて、こうで、こうで。
(チャプター09「阪神・淡路大震災復興への課題」/2:40〜)
「そういうことではなく、いままでのように政府や地方自治体が予算を出してそれらの言うとおりうちを建てて、」
って、そういう復興の仕方をしたら、それは、どうってことはない復興の仕方です。
「っていう復興のしかたはどうってことはない復興のしかたです。」
‥‥どうってことはない。。
つまり、あの、そういうやり方ってのは、もう本当に旧来通りの善悪の基準に則った復興の仕方、あるいは救済の仕方なんで。
「そういうやりかたは、旧来どおりの善悪の基準にのっとった復興・救済のしかたです。」
‥‥旧来どおり。。
しかし、そうじゃないんです。もうひとつ、これだけ、あの。の、あれですから、規模の破壊ですから。
「しかし、そうじゃないこれだけの規模の破壊ですから、」
‥‥これだけの規模の破壊。。
これは、あの。復興の場合に、全く新しい形。
「復興の場合には、まったくあたらしい形で。」
‥‥全く新しい形。。
それで、その新しい形が、日本社会における未来の、あの。産業構造、社会構造、それの、復興の…、その、さきがけ、っていうものを、あの、成していく。ってようなそういう復興の仕方を、もし、神戸の市民と、それから神戸におけるその共同体が、その、協働して。
「そのあたらしい形が、日本社会における未来の産業構造・社会構造のさきがけをなしてゆく。そういうような復興のしかたを、もしも神戸の市民と共同体が協働して、」
‥‥協働。。
それが出来たら、やっぱり、それは、あの。大変見事な、あの。つまり、新しい、あの、善悪、新しい倫理…、社会倫理に則ったその復興の仕方だ。っていうことに、僕はなると思います。
「それができたらたいへん見事な、つまり新しい社会倫理にのっとった復興のしかただ。っていうことになると思います。」
‥‥あたらしい社会倫理に則った復興のしかた。。
という、こんかいはここまでを一気に聴きました。
えーと、つまり以前までは、政府や地方自治体がお金を出して計画して復興されていたのが、「阪神・淡路大震災」という大規模の災害に見舞われて。また、吉本さんがおっしゃる「価値の浮遊性」という「現在」の時代に合わせてでの、市民と共同体が「協働」して復興してゆくことができるのならば、それはたいへん見事なあたらしい復興のしかた。という。。。
ぼくにはさ、復興について論じることはできないけれども。この「阪神・淡路大震災」と、その後に起きた「新潟県中越地震」「東日本大震災」「熊本地震」、そして「北海道胆振地震」という震災のことを改めて想いました。
では、このつづきは次回noteで聴きますー。
平成30年9月19日