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第40回 立て!
【吉本隆明さん講演『喩としての聖書−マルコ伝』をちょっとだけずつ聞いてゆくシリーズ、だい40かいめ〜。】
前回noteでは、嵐で荒れ狂った海へ向かい「鎮まりなさい。」とイエスが言えば海は鎮まり、、、
それで、あの。これ、この種のいわば奇跡って言うのがあるでしょう。(チャプター08 / 奇跡を言葉の面から理解する_2:14〜)
という、これは「奇跡」であるのだ、と。
つまり、イエスがやる奇跡って言うのは、聖書の中にばらまかれて出てるでしょ。
こういう奇跡って聖書にはたくさん出ている。らしい。。。
で。奇跡って言うのはねぇ、いったい。あの、言葉。つまり、言葉って言う面から見たらどういうことか? って言うことがあるんです。
そんな奇跡とは、「ことば」の面から見たらいったいどーいうことか?!
と、そう言えばさ。
この吉本さんの講演『喩としての聖書』を聞くシリーズってば、いちばんのそもそもは、ぼくがPerfumeのアルバム『COSMIC EXPLORER』のなかの『Miracle Worker』を聴いてなんとなく奇跡のことをおもいながら「なんだか、ひさしぶりに『喩としての聖書』を聴きたくなった〜。」と記した4月14日のnoteが発端なんだけれど。
よーやくここまでたどりついたっ! 起こせミルコォー!!!
講演をつづけますっ。
例えば、ライ病の患者をひとびとが連れて来た、と。それで「これを治してやってください。」っていうふうに言う、と。そうすると、イエスが、まぁ、あの、なんて言いますか「おまえはもう浄(きよ)められた。」っていうふうに言うと、ライ病は治った。とかね。
たとえば、ひとこと「おまえはもう浄められた。」と言うだけでライ病が治った。とか。
というこの講演は1977年8月に行われまして。ここでの「ライ病」というのは「ハンセン病」のこと。ぼくは以前、河瀬直美さん監督の映画『あん』を観たよん。映画よかった〜。
あるいは、触って、「立て!」って言ったら足なよの人が立った、とか。言わば、奇跡って言うのがあるでしょ。
また、足なよ(←足がご病気のひとのこと?)の人へ「立て!」と言ったら、立った。という奇跡。。。
奇跡って言うのはねぇ、いったい、言葉っていう面から言えば、なにか? っていうことをどういうふうに理解できるか。って言うふうなことを、あれしてみましょうか。
そーいう奇跡とは「ことば」の面から言えば、なにか?! とゆう、このつづきはまたもや次回noteで〜。きょうは海の日、どうか海が鎮まりますように。。。
平成28年7月18日
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