現在をどう生きるか5

第39回 すきま風

前回noteよりひきつづき、吉本隆明さんの講演『現在をどう生きるか』(開催日時:1995年9月3日)をゆっくりじっくり聴きます。講演音源は吉本隆明の183講演より。ほんじつ、第39回めでっせ。]

こんにちはー。こんかいも、これやります。

ぜんかいにはさっ、、、

「なぜか? と言ったらつまり、それは『現代』と『現在』の違いなんです。

 『現在』というのは、あらゆる事柄が、前からも見なきゃいけないし、後ろからも見なきゃいけないし、横からも見なきゃ本当のところは分からない、っていうくらい難しいことになっています。

 それから、『何が良いのか。何が悪いのか。』あるいは『何をしたら良いのか。何をしたらいけないのか。』ということも自明の理ではありません。

 万人が、市民社会が、自明で『これは悪だ。これは善だ。』って言ってることが必ずしも善悪の基準にならなくなって、浮遊しつつある。というのが『現在』の状態だと、僕は判断しますから。そんなに自明じゃないんです。」

のところを聴きました。つづきでっせ。。。

あの、これだったら、文句言いようのない善だろ。つまり、核実験反対っていうふうに言えば、もう、誰も文句言いようがないでしょ。と思いたいところですけど、それは違います。
(チャプター05「大江健三郎の進歩したところとしないところ」/7:55〜)

「これだったら文句言いようのない善だろ! つまり、核実験反対だと言えばだれも文句言いようがないでしょ? と思いたいところですけど、それはちがいます。」

えーと、つまりはさ、文句が言いようのない「善」だろ!!! みたいなことは、もう、無い。ってことなのかなあ。

あの、それはいくらでも思えるんです。それは…、それ、正しいとは言えないよ。って言うことは、いくらでも言えるようにね、あの。そういう、何と言いますか、すきま風が、いろんな問題に出てきた。

「『それ、正しいとは言えないよ!』っていくらでも言えるように、そういう、すきま風がいろいろな問題に出てきた。」

というここのところで吉本さんおっしゃる「すきま風」という表現は、なんだか、じつのところはじぶんで理解できていないのかもしれんけど、でもなんか、すてきだなー、って思いました。。。

あるいは、いろんな問題が、本来的なところに戻って、分離しつつある。というふうに言っても良いんですけど。それが、現在の実相です。

「あるいは、いろいろな問題が本来的なところにもどって分離しつつある、と言ってもいいんですけど。それが、『現在』の実相です。」

‥‥分離。。

ですから、あの。よくよくそこは、判断の基準、って…。判断ってのが、自分のことに重要な問題に、あの、なっていく。っていうふうに、あの、思います。

「ですから、判断が、自分のことに重要な問題になっていくと思います。」

‥‥判断が自分のことに重要な問題になっていく。とは???

そいじゃあ、こんかいでこの「チャプター05」は終わりましたので、次回noteからは「チャプター06 不況をめぐる価値の浮遊性」を聴いてゆくですっ。

講演もねぇ、おそらく半分までは来たので、もうあと半分〜。ゆっくりじっくり聴く〜!!!!!

平成30年8月20日


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