現在をどう生きるか2

第10回 ほんとかね?

前回noteよりひきつづき、吉本隆明さんの講演『現在をどう生きるか』(1995年9月3日・山梨県立文学館講堂にて)をゆっくりじっくり聴いてゆきます。ほんじつ、第10回め〜。]

前回では「もう少しその問題を詰めてしまいますと、人間の善悪、倫理、道徳っていうのは、現在の市民社会の大体、常識っていうのは大多数の人の考えかたで。善いことだと思われているものは、善いこと。悪いことだと思われているものは、悪いことだ。と、少しも疑われないっていうふうになっていたんですけど。みなさんご承知のように、それを疑うような現象ってのはほうぼうで現れたりしますし。」の箇所でした。

つづきですー。

また、あの。市民社会で、あの、大多数の人が承認してる常識的な善悪っていうのは、ほんとかね? っていうふうに。
(チャプター02「「疑わしくなった善悪の基準」」/0:44〜)

「また、市民社会で大多数の人が承認している常識的な善悪というのは、ほんとかね? って、」

ほんとにそう思うかね? っていうふうに問うていくと、やっぱり、ちょっと、危ないことが、いろいろ、その、いろんな事件で危ないってことが、いろいろ疑問だ。ってことが、いろいろ出てきた。

「ほんとにそう思うかね? っていうふうに問うていくと、いろんな事件で危ないってことがいろいろ出てきた。」

逆に言うと、その市民社会で当然だって思われた善悪の基準っていうのが、あの、基準っていうのが、疑わしくなってきた。なってくる、ってな現象も、あの、たくさん出てきている。って言うようなことを言えます。

「逆に言うと、市民社会で当然だと思われた善悪の基準が疑わしくなってくる、という現象もたくさん出てきているとも言えますし。」

これも、あの、善悪の…。なんて言いますか、基準が、あの、浮遊している、って。こう、浮く…。浮かん、あの、浮いちゃってる、って言いましょうか。あの、こう、そういうことも言えますし。

「これも、善悪の基準が浮遊している。と、そういうことも言えます。」

なんだか、当然と思われた善悪の基準さえも「ほんとかね?」って問うていくと、いろいろ疑問だ。と吉本さんおっしゃるのは、なんだかわかる感じもございます。

たとえばさ、いろいろよくよく考えてみると、ほんとうはどうなんだ??? とゆうのがぜんぜんわからない。と申しあげますか。

えーっと、このつづきはまた次回noteで聴きたいっすー。

平成30年7月22日


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