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高いところから低いところへと。

さくじつのブログでは、
以前のほぼ日のコンテンツで知りました
「流域」という考え方について、
じぶんなりに書いてみたのですが。

さらに、ちょっと飛躍させて考えてみれば、
高いところから低いところへと流れるのは
「水」だけじゃあなくて。
たとえば、「土砂」や「岩」や、という
地球上にある「物質」的なもの、
だけでなくって。たとえば、
物質ではない
「気持ち」的なものもね、
高いところから低いところへ流れてゆく。
って思っているのよね。

たとえば、
「家庭」や「会社」や「学校の教室」という
ある「組織」をイメージしまして。
その組織の中での「いざこざ」より発生する
「苦しみ」みたいな気持ちって、
放っておいたら、組織内での
いちばん弱い人のところへ、もしくは、
いちばん低い人のところへ、
降りてゆきやすい。と思うの。

それは、たとえば、
「家庭」で言えば「こども」とか、
「会社」で言えば「新入社員」や「平社員」とか、
なのかもしれないなあ。とはぞんじますが。

今さっき、ぼくはこのうえで
「放っておいたら」と書いたんですが。
その「苦しみ」みたいな気持ちをね、
組織のいちばん上のひとや、または、
途中にいるだれかが、
その身体で受け止めようとされるならば、
「苦しみ」の気持ちは、そこから、
さらに下には降りてゆかない。

でも、それは、
「苦しみ」は「苦しみ」なので。
たとえどんな人でも、
食い止めるのはたいへんなことで。

そういう悪い「気」みたいなのを、
ぐっと耐えて、飲み込んで、
じぶんの胃袋ん中で溶かして分解しちまうような、
そういう強靭さが、
食い止めるには必要で。

だからこそ、とてもたいへんだ。

そして、
もしもそれができなければ、つまり、
「おれは知らん!」って放っておいたら、
この「苦しみ」みたいな気持ちは、
あたかも、重力があるかのごとく、
組織内の上から下へと降りてゆきながら、
だんだん蔓延しながら、しまいには、
もうこれ以上落ちないいちばん下のところで、
溜まってしまう。

そうなってしまうのは、
かなり悲劇的でもある。
というか。。。

そうはならないためにも、
じぶん自身の持ち場のところで、
つらいながらも、必死に
持ちこたえようとなさっている方が、
かっこいいー。

ぼくもね、できることならば、
そういうような強靭な胃袋を持てたいなあ。
ってぞんじます。。。

令和2年7月9日


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