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Ameのときに折に触れながら考えること。(B)

ぼくが
「流域思考」ということばを知ったのは、
以前、ほぼ日刊イトイ新聞で連載されていた
岸由二さんの講演からだったと存じますが。

それ以後、大雨の報道が流れたときには、
折に触れながら、
この「流域」のことを考える。

「流域」とは、
河川を囲むようにして連なる
尾根と尾根とのあいだの大地の窪地のことを言う。
という説明で、よいのかな?

そして、大雨による洪水というのは、
「都道府県」や「市町村」や「学区・校区」という
地域区分では、分けることができない。
水は、そういう境界線を、
たやすく超えて行ってしまうから。
このときに、
水の超えられない境界線が「尾根」で。
水は、高いところから低いところへ流れるから。
その土地のいちばん高い場所が、
「尾根」だから。

と考えるならば、
どこかで降った雨はすべて、
その雨が降る土地の河川の「流域」にて、
高い場所より低い場所へと流れてゆく。

たとえば、
河川の「下流」の地域では、
まったく雨が降っていなかったとしても、
その流域の「上流」で大雨が降ってたら、
その大雨の水は、いずれ、
下流のほうへ流れて来るだろう。

だからこそ、じぶん自身が住んでいる
「流域」の雨の情報を、
知っていることが、だいじ。。。

ってゆう解釈で、合っているでしょうか?????

このたび、熊本県球磨川での
ニュースで見聞きをしました、
河川のカーブにて内側と外側での流れの違い、とか。
はたまた、どこでどう水が集まりやすいのか、とか、
そういう詳しいことまでは、
ぼくはわかってないですが。

「都道府県」などなど従来の地域区分の他に、
「流域」という区分もある。というのは、
なんだか、これまでにも確実に存在はしていたけど、
じぶんには見ることのできなかった「境界線」を、
あたらしく発見できた。みたいな気持ちをね、
ほぼ日の岸由二さんの講演の読みものの中で、
「流域思考」という
考えかたを読んだときに感じました。

水は、飲んだり、洗ったり、使ったり、
とってもだいじなものだけれども。
水の中では呼吸できなかったり、
つよい水圧ですべて押し流されてしまったり、
こわいものでもある。

「キミガ クレタ カサ」をさしながら、
「ヒダリカタニ シタタル アメ」
を想いたい。。。

令和2年7月8日


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