表紙10

第43回 ことばとして見た奇跡。

『喩としての聖書−マルコ伝』という吉本隆明さんの講演を聴いています、だい43かいめ。】

こんにちはっ。前回noteではねー、一般的なメタファーなら意味はわかるけれど。のつづきだお。

ところが、奇跡っていうのはね。あの、非常に。つまり、本来ならばね、隔たっていて。あまりに隔たっていて。あるいは、あまりに相(あい)反していて。けっしてどんなふうな結びつけかたを、言葉として結びつけようとしても結びつけられない言葉をね、言葉を結びつけているのが奇跡なんです。(チャプター09 / 奇跡とは何か_0:00〜)

「奇跡」とは、そのことば同士が非常に隔たっていて。どれだけ結びつけようとしてみても、一般的なメタファーのようには結びつけられないことばを、結びつけているのが「奇跡」だ。

言葉として見た奇跡なんです。

それは、「ことば」として見た「奇跡」だ。

つまり、言葉として。言葉から見たね、言葉から見た奇跡とは何なのか? って言った場合に、

ていう、その「ことばから見た奇跡」とは何なのか?! と言ったばあいに、

それはね。本来ならば結びつくはずがないふたつのね、ふたつの対象をね、結びつけている、って言うのが奇跡なんですよ。言葉として見た奇跡なんです。この意味はわかりますか? これは、大変重要なことを言っているつもりなんです。うまく言えないですけれどね、重要なことを言っているつもりです。

つまり「本来なら結びつくはずがないふたつの対象」を「結びつけている」のが「奇跡」だ。

‥‥というときにね、ここで吉本さんが「この意味はわかりますか?」と問いかけているのがさ、なんだか(はっ!)って思う。ここは、とっても重要そうなので、じっくりと。。。

で、あのね、それが奇跡なんです。

それが、奇跡。なんです。

それじゃあ、なぜね。なぜ、本来ならば喩として成り立たない、つまり、

では。どーして、ほんらいなら「喩」として成り立たない、つまり、

直喩にもならない、直喩としても意味が通じない。それから、

「直喩(シミリ)」としても、つうじない。

暗喩として考えても意味が通じない。

「暗喩(メタファー)」としても、つうじない。

つまり、荒れ狂った海に対してね、「しずまれ」って言ったら海はしずまった。っていうふうに言われたって、本来的にそんなのはウソでしょ。ウソでしょ、って言うのはつまりね、

つまり、荒れ狂った海へ向かって「しずまれ!」と言うと海がしずまった。なんて、ほんとうはウソでしょ?! って言うのはつまり、、、

絶対信じることはできないでしょ。信ずることをできないことをするから、奇跡なわけですよ。

そんなことは、ぜったいに信ずることはできない。そーいう「信ずることをできないこと」をするから「奇跡」であるのだと。。

それは、そういうふうに描かれているわけです。

って言うふうに、こう「聖書」では描かれている、と。このつづきは次回noteっす〜。こんなかんじでまだまだ、すこしずつ、すこしずつ、すすんでゆきますっ。

平成28年7月21日




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