未来からこっちを見る

「引用」をすることで。。。

ぼくは、このnoteでたびたび、文章の「引用」をすることがございまして。

たとえば先日ではさ、糸井重里さん著『思えば、孤独は美しい。』より「未来からこっちを見る」ということばを引用いたしました。

そういうような、ぼくがなぜ「引用」しようとするかと申しますと、「この文章を紹介したい!」という理由もあるにはあるのですが。それよりも、「引用をする」ことで、じぶん自身がもっときちんとその文章を「読む」ことができるかもしれない。ってゆう。。。

えーと。たとえば、先日のnoteで申しました「糸井さんのことば」を、こんかいもまた引用申しあげますと、、

ぼくは、いつごろからか、
イメージとしてだけれど、
「未来のその先」みたいなところに、
じぶんを立たせて、現在という「こっち」や、
近い将来というものを
見るようなことをしている。(後略)
(糸井重里さん著『思えば、孤独は美しい。』189頁より引用です。)

‥‥ということばだったのですが。

ぼくは、これを読んだとき(なるほどぉ!)と思って。だけれども、じつは、ちゃんとは読めてなかったの。

どういうことかと言えば、この箇所、ただ単に「『未来』から『現在』を見る。」だけだと思っていたけれど。ほんとうは、「『未来のその先』から、現在よりすこしだけ未来である『近い将来』のことを見る。」という意味も含まれてて。そこまでは、読めていなかったんだわね。

つまり、「引用」ってさ。引用をするためには、一語一句、見ながら読みながら書き写して。さらに、その引用が合っているかどうか、何度も原文と見比べてゆくわけで。

それだけ、きちんと読もうとすることができて。そうすることで、なにか、あたらしい発見があるやもしれない。と。。。

そして。

ですので、引用するときにぼくのなかでひとつ「ルール」がございまして。それは、書籍の場合はそうは行かないけれど、インターネット上の文書より引用するときの「コピー&ペースト」禁止。コピペしちゃうと、せっかくのきちんと読もうとする機会がなくなってしまうからさ。

こんなふうにして、「引用」をして気がついたことって、例はパッと出せないですがこれまでいろいろあった気がする。

ま、なんと言っても、昨日のnoteでも書いたけれど、このnoteはぼくの「ノート」だもんでぇ。黒板の文字を書き写して、じぶんのためにまとめる。みたいな。そういう「note」でもあるです〜!!!

平成30年1月31日


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