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あまりにも大きくて広い世界。

そして、週末はね、
愛知県刈谷市の刈谷市美術館にて、
和田誠さんの展覧会「和田誠展」へとまいりました。

ぼくは刈谷市美術館へは、2020年、
コロナ下のころ訪れましたヒグチユウコさんの展覧会
「CIRCUS」以来でしたので三年ぶり、
今回もそのときと同じく母とふたりで訪れました。

ぼくが住んでいる豊橋市から刈谷市へは、
車で1時間30分ぐらいかな、今回出発するのが遅くなり
行こうと思っていた喫茶店へは行かず朝食昼食を兼ねて
地元のスターバックスで「キッシュ」を食べてから、
国道23号線で西へと向かう。途中、
現在、蒲郡バイパスの開通工事のため、
迂回をしながら美術館到着〜。

和田誠さんの展覧会、素晴らしかったなあー。

と申しあげますよりも、その
展示の分量があまりにも多くてすごくって、
展示室を観始めた直後で展示の先のほうを眺めると、
この日は朝、家ですこしクッキーをつまんでから
スタバでキッシュを食べただけだったので、
体力が持たないやもとも感じつつ、でも、
集中して鑑賞していたら、体力のことは
次第に忘れながら観ておりました。
(展示室内で離れた母と鑑賞後に合流したとき、
母も疲れていたけど元気そうで良かった!)

この作品の分量とは、いったい、
和田さんはどれだけの作品を描かれてこられたのか?
つまり、どれだけの面積の絵を描かれたのか?!
ってゆうのを想ってしまったですが。
たとえば、
書籍の装丁、雑誌の表紙、絵本、ポスター、
シンボルマーク、似顔絵、などなどなどなどなど、
ものすごい面積の量なのだとは思うのですが、
けれども、それは
「面積」だけに限らない、とも存じました。

装丁、表紙、絵本、ポスター、などなどとは、
この絵の奥にはそのもの自体の世界が広がっている、
と申しますか。つまりはさ、
その絵が、その世界へとつながる
「窓」と申しますか、
「扉」と申しますか、
「ドア」と申しますか、
「入り口」と申しますか、
つまり、一枚の「絵」で言うならばそれは
「面積」になるとは思うのですが、
ある世界につながる「扉」として考えるとすれば
「面積」だけでなく、その扉の向こうにある世界の
「体積(容積)」までもが絵の中で表現されている。

そう思ってみたら、その絵の
分量の多さだけにとどまらず、
あまりにも大きくて広い世界が、
この目の前にあるんだなあ!
って感じられて、感動いたしました。

この日、あまり食べてなくて
体力的には疲れもあったのですが、そんな
和田誠さんの展覧会を鑑賞していたら、
なんだか、気持ちが元気になっておりました。

令和5年10月23日