救われる才能。
きのうのnoteではさ、さくねん12月22日のほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」で、糸井重里さんがおっしゃった「未来からの視線」のことを全文、引用申しあげました。
そのなかでねぇ、ぼくがとくにおもしろいなぁと感じましたのは17行目の「おまじないのことば」の箇所です。
また、あらためて引用申しますと、、
同じ場所から、同じ景色を、「未来からの視線」で見る。
ここでおまじないのことばが必要になる。
「なつかしいなぁ、昔は、こんなだったんだなぁ」と、
無理やりにでも言って、そう思うようにするのだ。
(ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」(平成29年12月22日)より引用です。)
‥‥という。。。
つまり、「どうしても思えなそうなこと」を思えるようになれるために、「無理やりでにも言ってそう思うようにするとき」の、その「無理やりにでも言うことば」のことを「おまじない」って表わすのは、なるほどなぁと思ったのよね。
えーと。
ぼくにでも、そういう「おまじないのことば」はございまして。
たとえば、ぼくは、じぶんのことを「救われる才能」があると思っている。そのほかのあらゆるどんな才能も無いと言えば無いのだとしても、ゆいいつ「救われる才能」だけは持っている。。。
‥‥と、こう言い切って思いこむことによって、どんなときにでも、どんなことからでも、「救われる」ことができちゃう気がするんだわ。
どんどん、どんどん、救われる。
たとえば、置かれてある石や岩に気づかずに歩いていたとして、すると、周りのひとから「あっ!!!」と言ってもらって、足元を救われる。みたいな。
そういう才能があったらよいわ〜。
平成30年2月2日
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