あの日の「ニャー」のこと。。。
先日2月22日のnoteでねえ、その末尾におまけのように「ニャー」を付けたのは、この日が「ねこの日」だったから。というだけでなくって、もうひとつ理由があったんだった。
それはさ、この日のnoteでぼくは「コミュニケーション」について申しまして。
えーっと、たとえば「コミュニケーション」において、おたがいの「ことば」同士の「意味」と「意味」とが完全に100パーセント合わないとよくないんだ!!! てゆうのは、ぼくにはつらい…。みたいなことを申しあげたですが。
そのあと、このことからちょっと思い出したみたいに、吉本隆明さんのおっしゃっていた「喩」のことを書きました。。。
吉本隆明さんが亡くなられたころ、糸井重里さんが吉本さんのおうちへゆくと、吉本さんの愛していたご近所のねこさんたちが、もうここには居ない吉本さんを哀悼するようにおうちのまわりに集まっていた。というのを、糸井さんのツイッターだったかなあ、どこかで読んだとおもうのですが。
さがしてみますと、ひとつ、このことっぽいことばが糸井さんの著書に掲載されておりましたので。以下にて引用をいたします。
吉本隆明さんが入院してから、
おなじみの白い猫が、さみしくなってしまったらしい。
かわいがってくれる人が減ったので、
その減った分だけもの足りなくなったのだろう。
このおじさんでもいいか、とばかりに寄ってきた。
なでると機嫌よくしていた。
あの、おとうちゃんは、しばらく帰ってこない。
そのことを、猫は知るべきなのだろうか。
(糸井重里さん著『ぽてんしゃる。』207頁より引用です。)
このほかにもあったような気がするのですが、見当たらない。読んだとおもったのは、ぼくの思い過ごしだったかもしれない。。。
という、このねこさんたちの気もちが、吉本さんのことを書いたから、そしてその日が「ねこの日」だったというのも合わせまして、こちらのぼくのほうへ寄って来られたのかもしれない。なので、ぼくは「ニャー」を付けることを思いついた。
と感じているのよね。
そんな、なんか、こんなことをきょう書こうとおもったんだニャー!
平成30年3月16日
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