第50回 治った!
【吉本隆明さんの講演『喩としての聖書−マルコ伝』をちょっとずつ聞きすすめてゆく的なシリーズ、だい50かいめー。】
こんにちはー! では、さっそく。前回noteで聞きました、この母親が言った「然り主よ、食卓の下の子犬も、こどもの食べくずを食らうなり。」とは、どーいう意味なのか?!
そうです、あなたよ。っていうわけですね。それで、あの、(チャプター10 / 謎々がわかることは信仰が篤いこと_2:50〜)
「そうです、あなたよ。
そうですあなたよ、だけどねぇ、食卓の下に居る犬もね。食卓の下に犬が居るとするとねぇ、その犬はね。あの。こどもがパンを食べていると。まず、こどもがパンを食べている。だけども、
だけれども、食卓の下に犬が居て。
食べ残しってことじゃなく、食べてると同時にね。そっからこぼれ落ちたパンくずをね、その子犬がやっぱり食べるんですよ。って言うふうに、
これはこどもの食べ残しということでなくって。こどもが食べてるパンから落ちたパンくずを、子犬が食べるんですよ。
食べるもんじゃないですか? って言うふうに、その母親が答えるわけです。
そうやって、子犬は食べるものではないですか?」と、母親は答えた。
で、その答えに対して。あの。その答えを聞いてイエスはね、「汝(なんじ)この言葉によりて、安(やす)んじて行け」って言うわけです。
この母親の答えにたいし、イエスは「汝この言葉によりて、安んじて行け。」と言った。
それは、つまり、、、
行ったら、治った。つまり、で、そしたら治ってた。ってわけですよ。つまり、この言葉によって治った、って言ってるわけです。
「そのことばによって、こどもはもう治ったから行け。」という意味で。
つまり、おまえの答えかたってのは、いいっ! って言ってるわけです。見事だ、って言ってるわけですよ。だから、治った。って言ってるわけですよ。
つまり、あなたの答えかたは見事だ!!! だから、治った。
で、なんのことかわからないでしょう、わかんないでしょう。しかし、わかんないでしょうけど、あの。そう解釈を、その、ね。つまり、わかんない、ってことは喩なんですよ、喩。喩で言ってる。喩でもって、問答しているわけです。
どーして、これで治るのね?! こりゃあ、もう、なんのことだかさっぱりわかんないー。そうゆう「わかんない」ってゆうことは、つまり「喩」なんですよ。と吉本さんおっしゃいます。
「喩」とゆうのはさ、「比喩」とゆうことのよーな。つまり、いったいどーゆうこと?! このつづきは次回noteで、ってゆうー。
ゴッド、ブレス、ユー!!!
平成28年7月28日
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