表紙11

第49回 こどものパン

【吉本隆明さん講演『喩としての聖書−マルコ伝』を、ぼくがただ単に聞くのみのシリーズ、だいよんじゅーきゅーかいめっ。】

そんじゃー、ほんじつも聞くです。。。

で、あのねぇ。イエスはねぇ、それに、そういうふうに治してくれ、って言われてね。まず、こどもに飽(あ)かしむべし。って言うんですよ。(チャプター10 / 謎々がわかることは信仰が篤いこと_1:45〜)

の、ここでの「そういうふうに」とはさ、前回noteで聞きました「悪鬼に憑かれてしまったわたしの娘をどうか治してください。」という母親からのおねがいのことで。

それに対して、イエスは「まず、こどもに飽かしむべし。」と言い、

「飽かせる」ってのは「飽きさせる」ってことですね。あの。まず、こども、こどもに飽かしむべし、と。こどものパンを取りてね、子犬に投げ与えるはよからず。っていうふうに言うわけですよ。つまり、どういうことかって言うと、

その「飽かせる」とは「飽きさせる」ていう意味で。そしてさらに、イエスは「こどものパンを取りて、子犬に投げ与えるはよからず。」と言った。

これは、つまり、、、

まずね、こどもにね。こどもに満足さしてやるべきじゃないか、と。それで、その。それで、こどもに満足させてやらないで、こどものパンを取り上げてね。で、犬にやっちゃうってのはね、それはいいことじゃないよ。って言うふうにイエスが言うわけです。

「まずはこどもに満足させてやるべきじゃあないか。それを、こどもに満足させてやらずに、こどものパンをとりあげて、子犬にあげるのはいいことじゃあないよ。」

とイエスは言った。

そして、あの、それに対してね。それは比喩ですよ、喩ですよね。比喩ですよ。どういう意味か、ってことは別としてとにかく比喩です。

このイエスのことばとは、比喩。。

で、それに対して。あの、それに対して、あの、その。娘を連れて治してくれ、って連れてきた母親がね、「然(しか)り主よ、食卓の下の子犬も、こどもの食べくずを食らうなり。っていうふうに言うわけなんですよ。どういう意味かって言いますと、

それに対して、こどもをつれてきた母親は「然り主よ、食卓の下の子犬も、こどもの食べくずを食らうなり。」と言った。この「主」とはイエスのことかなー。

と吉本隆明さんおっしゃるこのことは、どーいう意味なのか??! つづきは次回noteっすー。

平成28年7月27日



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