表紙20

其の百 あいうえお

《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(平成20年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

こんにちはー。ほんじつで、ひゃっかいめっ! こーえんをききます。

前回noteでは、「僕の論議は、僕が書いてきた余計なものを含めてきちっと読んで下さると、そのどちらでもない(←このまえに述べられたふたつの論議のこと。)と同時に、どちらの考え方っていうのも部分的には通用するけど全体としては通用しないよ。ってこと、はっきりと指摘してるっていう。誰も特異だと言ってくれないから、僕は自分で言うわけですけど。自分なりに非常に特異な文学理論を作り上げたっていうふうに、これまた自分だけしか思ってないから思っています。」と吉本さんおっしゃるばめんでした。

では、つづきをぉ。。。

あの、えー、それで。あとは、ちょっと僕は悪気を出して。あの。ちょっと日本語のことを、ちょっと調べてて。(チャプター14 / 第三列音を中心とした日本語の音_0:00〜)

「それから、僕は日本語のことを調べていて。」

あんまり知らないんですよ、日本語のこと。あの。知らなかったんですよ。だから、あれですけど。えーと。知らないと言っときますけど。

「日本語のことを、僕はあまり知らなかったんですよ。」

日本語をあまり知らない。とご自身でおっしゃるのって、じつはなんだかすごい気がする。ぼく自身では、じぶんが日本語をあまり知らないかどうか?! って、そう言えばそんなこと考えたこともなかった。。

講演をつづけます。

日本語のあいうえおっていうのがあります。あいうえお、かきくけこ、っていう五十音図っていうのがあります。

「日本語の、あいうえお、かきくけこ、という五十音図があります。」

で、これは、小学生の初めに教わったりするわけですけど。先生が遠慮して。もう少し詳しくやってくれたらよかったと思いますけど。

「この五十音図は、小学生のはじめに教わりますが。もうすこしくわしく教えてくれたらよかったと思います。」

あぁー、五十音図。。。

‥‥と、すこしだけ話はそれますが。前回聞いていた途中で気がついたんだけどね。おれ、前々回noteで「個人個人。ひとりひとり。ということばがさ、なんだか身にしみいるような…。」と申しあげましたが。それってば、講演の文脈として間違えとったー。その論議と、その次でおっしゃった論議は、ちがう。ていうことだったからさ、おれ、ぜんぜん、身にしみいとる場合じゃあなかった!!!

前々回の時点では気づかなかったけど、たぶん、内容を変なところで切ってしまったもんでそんなことになってしまった。なんだかひとり恥ずかしくおもって、なのでそのことを書きました。

ではでは、吉本さんおっしゃる日本語の「あいうえお」について講演つづきは次回noteで聞きます。いい夫婦の日。夫婦を超えてゆけ〜。二人を超えてゆけ〜。一人を超えてゆけ〜。

平成28年11月22日



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