表紙19

其の九十九 特異

《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(平成20年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

こんにちは! からのぉ、きくーーーーーっ!!!!!!!!

前回noteでは、「(何十年かかって表現してきたことの)このために何ができたんだ? って言われたら僕はひとつだけ言えることは、要するに、芸術に一般的に通用する理論なんてないんだ、って。個人個人の芸術家自体の問題であって、そんなことは一般的に言えないで。ひとりひとり、みな、評価が違う、それも当たり前だ。」と吉本さんおっしゃるばめんでした。

つづきです。。。

っていう議論と、それからもうひとつは、(チャプター13 / 時間をかけるほど芸術的表現は価値を増大するか_11:10〜)

「『芸術には一般的に通用する理論はない。』と『ひとりひとり評価がちがうことはあたりまえだ。』という論議と、そしてもうひとつは、」

芸術には、政治的価値と文学的価値があって。で、この両方がなけりゃあ、芸術とは言えないから。両方が、書け書け、ってそういう有効性がないものはダメだ、って。こういう、こういう論議と。

「芸術には、政治的価値と文学的価値があって。この両方がないならば、芸術とは言えないので、両方がない作品はダメだ。という論議と、」

まあ、極端に言うと、そのふたつしかないわけですけど。

「極端に言えば、このふたつしかなくて。」

僕は、たぶん。僕の論議は、あの。たぶん、えー。余計なものを含め…、僕が書いてきた余計なものを含めてきちっと読んでくださると、どちらでもない、と同時に、

「僕の論議は、僕が書いてきたものを読んでくださると、そのどちらでもないとどうじに、」

どちらの考え方っていうのも、部分的には通用するけど、全体的には通用しないよ。ということ。はっきりと指摘してる、してる、っていう。

「そのどちらの考えかたも、部分としては通用するけれど全体としては通用しない。ということをはっきり指摘している、という。」

特殊…。自分なりに、誰も特異だって言ってくれないから、僕は自分で言うわけですけど。自分なりに、非常に特異な文学理論を作り上げた、作り上げた、っていうふうに。これまた自分だけしか思ってないから(笑)、思っています。

「誰も言ってくれないからぼくはじぶんで言うんですけど。自分なりに非常に特異な文学理論をつくりあげた、と、これまたじぶんしかおもっていないから、そうおもっています。」

‥‥の、ここのところを聞いて思い出したのはねぇ、内田樹さん著『困難な成熟』より、

【「ぼくが倒れたら ひとつの直接性が倒れる もたれあうことを嫌った ひとつの反抗が倒れる」

 これはある若い詩人の書いた詩編の一行です。「ぼくが倒れたら」という言葉にこの若い詩人の万感が込められていたと僕は思います。
 この言葉に支えられて、彼はその後長い思想的・文学的な孤立に耐え、彼以外の誰も彼に代わってなしえなかったような仕事を残しました。(著書290頁より引用です。)】

という箇所です。内田さん、ここではこの詩の作者を明かしてはいないのですが。読んだときにぴんと来まして。たぶん、吉本さんだよね。

ほんじつ聞きましたこの「誰も言ってくれないから、僕は自分で言うわけですけど。」や「これまた自分だけしか思ってないから…」のところはさ、なんだかこの詩での「ぼくが倒れたら」ということばとおんなじ、と感じました。

それではっ、このつづきは次回noteで〜。こんかいで「チャプター13」が終わりましたのでつぎより新しいチャプターへ移ります。講演は、いよいよ終盤です。

平成28年11月21日



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