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ある講義のことを思い出しながら。

前回noteでは、生きるのに重要なことは
「食べる」と「排泄する」である、
というのを申しあげまして。
そして、ぼくは恥ずかしながら
「痔」を持っているのですが、そんなぼくとしては、
人間の「肛門」という器官は、
案外、弱い、ってゆうのも記しました。

平成23年、ぼくは肛門科にて
「いぼ痔」と「痔ろう」の手術を受けまして、
そのおかげさまで症状は改善をしたのだけれども、
それから10年以上が経ち、また、
すこしばかり、良いとは言いにくいような状態に
なってきているような気がしている。

その手術を受けたのち、同じ時期に
手術を受けられた方々が病院の食堂に集まり、
手術してくださった先生より
「痔」や「肛門」のことについての講義を聞く、
という機会がございました。
このときの講義のことは、今でも、
折に触れて思い出すのよね。

たとえば、先生のおっしゃるには
過ごす生活が大事であり、そして、
食べるものが大事であること。
野菜や食物繊維の食材を食べること、
かつ、野菜は生野菜ではなくて
おひたしやけんちん汁など、火を入れること。
それは、つまり
「痔」というのは、「便」の状態によって
症状が決まってくるのだから、まずは
良い状態の「便」を出すこと。
同様のことを言うともすれば、
水分を摂取すること、でも
アルコールは良くないこと。
なので、ぼくはね、ちょっと
その感じが良くないかも、って思うときには
お酒を飲むのをしばらくやめる。

また、先生がおっしゃっていたのは、
女性は「便秘」によって「切れ痔」になりやすい、
男性はストレスによって「下痢」になりやすく、
そうなると、そのやわらかい便が
肛門の付近にある傷へと入ってしまうことで、
「痔ろう」になりやすい。
まさしく、ぼくの場合はね、おそらく
ストレス的なことで下痢になってしまうことがあるので、
食べ物だけでなくって、そのような
じぶん自身の「ストレス」について、
どのように考えたらよいか?
というのも思うようになったと思う。
とは言えども、なかなかうまくできてないけれども。

そのような講義を聞いてぼくが感じたのは、
「肛門」とは、見える部分と見えない部分とを合わせて
人間の「皮膚」の一部である、そして
「痔」とは、そのような「皮膚」の病気である、
ということかなあ。
そして、「肛門」という箇所は
「便」が通るからこそ、
その「便」がとっても大切である。

なんだかそう考えてみるとね、
前回では、生きるのに重要なのは
「食べる」及び「排泄する」である、
と申したけれども。たとえば、前者の
「食べる」とは「インプット」であり、かつ、後者の
「排泄する」が「アウトプット」である、
とも思えてくる。もしくは、言い換えるとすれば
「排泄する」って言うよりかは、
「便」を「製造する」と言ったほうが
より近いのやもしれないとも考えたりもする。

やはり、より良く生きるためには、
食べ物とか、ストレスとか、を
より良いものにしてゆくことが大事なのだろうなあ。

はたまた、身体の「肛門」という名称もね、
「肛」のほうはよくわからないけど、
「門」というのは、まさに
身体の出口側の「門」なのだから、
ぴったりなことばだよなあ! と思える〜。

令和6年3月18日