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じぶんには深すぎて。(浅くありたいver.)

昨日のブログでは、ぼくは、何かを考えるときには
深さを求めるのではなくって、
浅いことが大切、というか、
浅さをバカにできない、というか、
もう、いっそのこと、ぼくは
浅くありたい、というのを申しあげました。

でも、たとえば、
「深さ」とか、そのほかには「高さ」とか
「広さ」とか「大きさ」とか「重さ」とか、って
とても大事なことだと思うし、昨日もすこし書いたけど
ある種の価値にもなると思う。
とは言っても、それが
甚だしければ甚だしいほど、
危険もともなってくる、と申しますか。

深ければ深いほど、
地上に戻れにくかったり、
水圧に耐えられなかったり。
高ければ高いほど、
地上に落下する恐怖があったり、
空気もうすくて息ができがたかったり。
広ければ広いほど、
その土地を守るコストがかかったり、
その場所を掃除するのも大変だったり。
大きければ大きいほど、
動くのにエネルギーがかかったり。
重ければ重いほど、
動きが鈍重になったり。などなど。

そう考えてみると、この逆としての
「浅い」「低い」「狭い」「小さい」「軽い」
というのは、ある意味では
大切だなあ! って思えてくる。

ぼくはこういうような文章を書いているような
ただのブログ書きですので、
文章を書くことについて偉そうなことは言えないけれど、
でも、じぶんなりには、文章を書くことにおいては
「浅い」「低い」「狭い」「小さい」「軽い」
でありたいのよね。

たとえば、ことばって
記そうと思えば、及び、言おうと思えば、
それを思いつきさえすれば
どんなことでも記せるし言えるから、
ときには、じぶん自身の
サイズや距離に合わないことも、
表現できてしまうのだし。
なおかつ、でも、それはそれで
価値もありうることやもしれないけれども、
そういうことばとは、やはり、ぼくの場合では
じぶん自身の手に負えない、と申しますか、つまり、
じぶんには深すぎて手が届かないし、
じぶんには高すぎて足がすくんじゃうし、
じぶんには広すぎて迷ってしまうし、
じぶんには大きすぎて抱えきれないし、
じぶんには重すぎて押しつぶされてしまいそうだから。

そういうような、いわば、
じぶん自身の表現したことばによって
じぶん自身の身体が乗っ取られてしまう、
という危険性も考えられる。
ならば、ぼくは、たとえ
「浅はか」だと思われたとしても、
浅くありたいの。

でもその途中でね、もしも
地下で「秘密の扉」を見つけたら、
すこし開いてその中をのぞいてみたい。

令和5年12月28日

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