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お味噌汁と愛情と性格とことばについて。

おとといのブログでは、たとえば、
「人間の性格って、何で決まるんだろう?」
ということを考えながら、でも、さらに
昨日のブログの中で考えてみたのはね、
この問いとは、そもそも、
問いの立て方が間違っていた、つまり、
人間の性格というものは、
何かの性質として決まったり、かつ、
何かの個性として定まるものでもない。
ならば、言い換えるとしたら、
「人間の性格とは、何に由来しているんだろう?」
という問いのほうがよいのかもしれない。
そして、おととい及び昨日のブログではさ、
それは、「ことば」か?!
って考えてみたのですが。

でも、たとえば、
やさしいことばを言う人が、
他人を騙すような場合もあれば、はたまた、
こわいことばを言う人が、でも、
そのことばはじつは愛情で、ほんとうは
やさしい、という場合もあるだろうから、
一概には言えないとも思うけど、
じっさいのところ、どうなんだろうねえ???

おとといのブログでは、
【たとえば、お味噌汁を作るときにはさ、
 さじで味見をするけれど、その
 ほんのすこしの味見だけで、
 お味噌汁の味がだいたいわかる、みたいな、
「ことば」とは、そんな
 さじによる味見のようなものやもしらない。】
ってゆうふうにして、
「お味噌汁」にたとえていたですが。

その人が言う「ことば」とは、
お味噌汁を作るときのほんのすこしの味見だけで
味がだいたいわかる、みたいな
そんな作用を果たしているんだろうか?
仮に、もしもそうならば、さしずめ、
人間の「性格」とは、
お味噌汁でたとえるならば、
「お味噌」と「お出汁」なのやもしらない。
そのふたつが、いわゆる、
人間における「核」みたいなものであり、
人間で言うところの「魂」なんだろう。
とも、おとといのブログで書いていたのですが。

このブログでは、noterの「眞愛さん」より、
【お味噌汁の話ですが、たとえ同じ材料を使っても
 混ぜ方や微妙な切り方の加減によって、味が変わってくると思います
 何より愛情がこもっているかどうか? 大事だと思います。】
というコメントをいただきました。

眞愛さんのコメントを拝読しながら、
たしかに、同じ材料を使ったとしても
人によって、お味噌汁の味って
変わってくるというのもわかる気がするなあ。
なるほどなあ! とぞんじました。
つまり、お味噌汁の味とは、
「お味噌」+「お出汁」+「具材」+「愛情」
で、できている。

このときにね、ぼくがもうすこし考えてみたのは、
でも、たとえば、
「とうふのお味噌汁」を作ろうとするときには、
「おとうふ」と「愛情」のふたつだけでは
めちゃくちゃおいしい「湯豆腐」には成ったとしても、
「お味噌汁」を調理することはできない。
やっぱり、お味噌汁にはさ、
「お味噌」と「お出汁」が
必要不可欠なんだ、と思ったんだった。
つまり、そういう意味としてぼくは、
人間における「核」及び「魂」とは、
お味噌汁で言うところの
「お味噌」と「お出汁」なのだと考えたんだと思うの。

そしてまたここから考えられるのは、
人間の「性格」において、
その人が言う「ことば」というものは、たとえば、
お味噌汁で言うところの
「お味噌」なのか、「お出汁」なのか、「具材」なのか、
それとも、noterの眞愛さんのおっしゃる
「愛情」なのか。

ってゆうのはね、
ぼくには、わからないねー。

‥‥と、ここでひとつ思うのはね、
「お味噌」も「お出汁」も「具材」も
レシピとして数値で記すことができるけれども、
「愛情」だけは、レシピにも、数値にも、
あらわすことができない。
ともすれば、もしかしたら、
人間の「性格」というものもね、
お味噌汁における「愛情」のごとく、
数値であらわすことができないものだ、
とも言えるやもしれない。

ってゆうような、なんだか、
元も子も無いような、つまり、
「人間の性格とは、何に由来しているんだろう?」
という問い自体も、そもそも、
「何」というような
ことばではあらわせられない、という、
問いの立て方が間違っていたのか。。。

もっとそもそもを申せば、
なぜ、このことを考えようとしたか、
ってゆうのはね、たとえば、
いやなことを言われたとして、それで
いやな気持ちになって、それは、でも、
いやなことを言われたときのこのことばとは、
その人のやさしさのような感情より発せられた、とは、
どうしても考えられないようなときには、
そのことばを言ったその人の性格とは、その
「ことば」が大きく由来しているんじゃあないの?
って、考えてしまったことでして。
つまり、そこから、
「ことば」って、
「性格」じゃん! と思ったんだった。

でもさ、このことって、ぼく自身が
何かのことばを発するときも同様で。
つまり、ぼくが
ふと言ってしまったことばが、
相手に受け取られたときには、そのことばが
ぼくの性格すべてを表している、
と思われる場合がある、とも考えられる、というか。
つまり、なんだろう、いわば、
「ことば」って大事だなあ! というような
当たりまえのような結論になるのかなあ。

ぼくはさ、お味噌汁の中では、やっぱり
「とうふのお味噌汁」が好きだなあ〜。
って言うともすれば、ぼくは
「おとうふ」のようなことばを、
語ることができたならば。。。

いや、「おとうふ」のようなことばって、
どんなんなのか?

令和5年6月25日


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