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これから思い出す思い出。

あるとき、忘れていたことを、
ふと思い出すことがある。

たとえば、
本を読んでいるときには、
そこで書かれていることから関連して、
昔あったことを思い出すこともあれば、
その書かれていることばの一単語から、突然、
本の内容とは全く関係ないことを思い出してしまって、
知らぬまに読書は一時ストップ、
物思いに耽ってしまうこともある。
そういうような、
昔あったことを思い出す、とか、
突然に物思いに耽る、とかもまた、
読書の醍醐味の一つだと思える。

そういうことはさ、でも、
読書だけでなくって、たとえば、
お風呂に入っていたり、
ドライブをしていたり、
誰かとお話しをしていたり、
散歩をしていたり、そして、
ぼーっとするあいだにでも、
なにかを思い出すこともある。

ぼくの場合ではね、この
日々のブログを書いているあいだにも、
なにかを思い出すときもある。

たとえば、先日だったらば、
グラフィックデザイナー・原研哉さんが
ご著書で書かれていたことをふと思い出してから、
そしてそこから、ふと
「包丁」という道具のことを思い出したら、
MISIAさんの『つつみ込むように... 』という
曲のことを思い出したり、
さらにまた、昨日だったらば、
白川静先生の『常用字解[第二版]』で
【包】という漢字のことを調べてみたら、この形とは
「お腹の中に胎児がいる人の形」
と書かれていて、このことからふと
小田和正さん(オフコース)の『生まれ来る子供たちのために』という
曲のことを思い出したり。

MISIAさんの音楽、及び、小田さんの音楽を
ぼくは日常的に聴いているわけではないので、
このブログをしるしてなければ、おそらく
この日には思い出していなかった、
と、そう思うとなんだか不思議だ。

なにかを思い出すためには、
そのことを記憶していなければ、
もしくは、知らなければ、
思い出すこともできない。

ひとたび記憶すれば、かつ、
ひとたび知れば、それを
もしも忘れてしまったとしても、
あるときには、ふと
思い出すやもしらないし、
忘れたまま思い出さないやもしらない。

もしかしたら、
今もなお忘れていながら、いつの日か、
これから思い出す思い出というのも、
この身体の中で眠っているやもしらない。
それはでも、
よい思い出もあれば、
よくない思い出もあるとも思うけれども。
つまり、
思い出とは、
思い出さなければ、
思い出にならないのかもしれないなあ。

令和5年8月11日

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