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じぶん自身のドラマの「脚本家」となって。

先日ブルーレイボックスが届きました
今年1月期のドラマ『ブラッシュアップライフ』のこと、
昨日で最終回までを観終わりました〜。
あらためて観て、やっぱり、このドラマは
すばらしいし、おもしろいし、最高!

一度観てその筋書きや結末がわかっていたとしても、
おもしろい! って思えるなんて、たとえば
大好きな音楽を何度聴いても大好きだと思う、
というのと似ていると申しますか、もしくは
内容は知っていても何度聴いてもおもしろい
古典落語を聴いているようだなあ、って、
『ブラッシュアップライフ』を観ながら感じておりました。

昨日観ました最終回の第10話では、その
前回の第9話の最後で勃発した大問題が、
どうなるのか? ってえのが、まさに
はらはらものだったけれども。
この大問題という事態の解決のされ方がさ、
ほんとうにすごくって。
少々のネタバレとなってしまいますが、言ってみれば
このドラマらしい解決と申しますか、いわば、
それまでのストーリーの全てが含まれていると言うべきか、
もうすこし具体的(?)に言うとすれば、
時空を超えた他力本願、って言うのかなあ?????

このうえのところでね、ぼくは、
ドラマの中で勃発した大問題がどうなるのか? を、
はらはらしながら観ていたことを申しましたが。
ぼくら視聴者はその問題が
「どうなるか?」って思いながら、
ドラマを観ていたともしても、
かたや、制作者側はその大問題を
「どうするか?」を考えられていて、
そしてドラマが完成され、放映されていると思うの。

つまりはさ、ならば、
視聴者側のぼくも、ただただ
「どうなるか?」を思いながら、次週の
次回を待ちわびながらドラマを観るんではなくって、
もしもじぶんが制作者だったら、この問題を
「どうするか?」を考えてもよいんじゃあないか。
それで考えた結果、じぶんならばこうする。
と思いついたのならばそれはそれでよいし、
まったく思いつかなかったとしても、
それだけ考えた後でドラマを観れば
(なるほどぉ、こういうふうにするのかあ!)と想い、
観ているときの感慨もひとしおになるのやもしらない。

ドラマや映画や漫画などなどのフィクションに限らず、
生きていれば、ときおり、じぶん自身の中で
とある問題が勃発する場合もあって。
じぶん自身の前に表れた問題とは、
ドラマの主人公のごとく、何かしらによって
解決する必要が出てくる場面もあるんだろう。
そんなときにはね、じぶん自身が
じぶん自身のドラマの「脚本家」となって、
最高な解決の仕方を考える他ないんだろう。
仮にね、バカリズムさんのような脚本は描けないとしても、
そういうふうに考えようとする場合には、
もしかしたら、ドラマを観ながら、
じぶんがこのドラマの制作者だったなら
どうするか? を考えようとすることは、
ある種のこの訓練になるやもしらないか。

少々のネタバレ気味で言うともすれば、
『ブラッシュアップライフ』の最終回のごとく
大問題の解決には「正面突破」だけでなくって、
「時空を超えた他力本願」みたいなことによって、
解決される場合もあるのかもね〜。
そんなことをね、あらためて
『ブラッシュアップライフ』を観ながら、
思っておりました。

最高!!!

令和5年9月12日

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