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学校の勉強と将来使う知識とは何か?

先日のブログでは、「学校の勉強」について、
将来のために関する物事のみを
ピンポイントで勉強してもしょうがない、
という旨を、とある記事を読みながら記しました。
現在、学習塾講師として勤めるぼくとしては
学校の勉強を行うことについて、もっと
じぶん自身のことばで言えることを考えられたい、
というのは折に触れて思ってはいるのですが、
いやはや、説得力を持った説明を述べるのは
なかなかむつかしいとも思う。

数学とか歴史とか国語の古文及び漢文とか、
どんなことでも、果たしてこれらのことが
将来、何に使うか? って考えてみても、
よくわからない、としか言えない。
ならば、将来になったときに
使うことができる知識は何なのか?
というのもわからないな。

ある人が将来、
「警察官に成りたい。」
と思われているとして、とは言えども
警察官が使う知識というのも、
ぼくは詳しくは存じないから、
ピンポイントで伝えることもできない。
おそらく、警察官にも
いろいろなお仕事があるのだろうから、
絶対必須の知識が何か?!
というのも、ぼくにはわからない。

令和2年に放映されましたドラマ『教場』では、
警察学校が舞台となり、木村拓哉さん演じる
「風間教官」の下で学ぶ生徒のうちのひとり
大島優子さんの演じられる「楠本」が、ある出来事によって
立体駐車場のパレットに身体を挟まれたとき、
風間教官は楠本をすぐには助けなかった。
すぐ助けなかったのには理由があり、
非常に重たい物で長時間身体を挟まれてしまった場合、
その物体をすぐに取り除いて救出しようとすると
挫滅症候群(クラッシュ症候群)と呼ばれる症状が起こるため、
風間教官は救出をすぐには行わず、
楠本をしばらく放っておいた。

このドラマのシーンを観ながら、
そんなことがあるのかあ、と思いつつ、
でもこのことは、たとえば、
大地震によって建物が崩れたとき、身体が
瓦礫に挟まれてしまう状況でも言えるとのことで、
本年お正月の大震災の際にも、
ニュースでよく言われていたとも存じますが。

こう考えてみればあらゆる場面において
使う知識というのは、その状況によって
刻々と変化するかのごとく、日々、警察官には
あらゆる知識が必要になってくるとも思うの。
つまり、どんな知識でも、
使わないときは使わないが、
使う場面もあるやもしらない、
というか、もっと言うならば
必要のない知識なんて無いのかもしれない。

そもそも、警察官に成るためには、
公務員試験もしくは採用試験に合格しなければならない、
とのことですので、その試験のためにも
勉強する必要があるのだろう。

警察官だけでなくって、たとえば、
歌手に成りたい人、
漫画家に成りたい人、
イラストレーターに成りたい人、
プロスポーツ選手に成りたい人、
ゲーム制作者になりたい人、
パティシエに成りたい人、
動物園の飼育員に成りたい人、
建築士に成りたい人、
公務員に成りたい人、などなどなど、
あらゆる夢があるとして、その職業に関する
専門的な知識は必須なのだとして、でも、
そうではないような知識、つまり、
専門知識以外の知識だっても
その知識が必須かどうかは置いておいて、
まったく必要では無いか、ってのも
そうとは言い切れないやもしらない。
ましてや、将来の夢を持っていなければ、
将来になってどの知識を使うのか、なんて
今の段階ではまったくわからない、
と言っても過言でない気もするし、はたまた、
子供のころ描いた夢どおりの人生を
歩めるかどうかも未知数なのだとも思える。

まったく関係ないような知識が、
あるとき、なにかの
重要なアイディアになりうることも
あるやもしらない。

そういうような意味でね、今回の最初で記しました
先日のブログの中では
「学校の勉強をするときには、
 将来、役に立つかどうか?
 というのは考えないほうがよいよ。
 ってえのは思うんだけれども」
と申したんだった。

学校の勉強についてぼくが思うのはね、
将来の年齢に成ったとき、
「子供のころもっと勉強しておけば良かった…」
って言わないのであれば、
勉強をしても、勉強をしなくても、
どちらでも良いとも思う。
学校の勉強がよく出来たとして、
未来永劫、幸せに暮らすことできるか、
というのもわからないやもしれないのだし。

そんなことをね、ぼくのような
学校の勉強があんまり出来なかった人が言っても、
これまた、説得力は
まったく無いように感じられる。

令和6年3月29日