現在をどう生きるか1

第7回 商品の価格

前回noteよりひきつづき、吉本隆明さんの講演『現在をどう生きるか』(1995年9月3日・山梨県立文学館講堂にて)をゆっくりじっくり聴いてゆきます。ほんじつ、第7回めです。]

前回では「マルクス流に言えば、商品の価格っていうのは、価値の相対的な価値、他のものと比べた価値ということになります。働いたこととか雑費がかかったとかを含めて、価値の源泉になるわけですけど。そういうことと関わりなく、価格は浮遊してしまう。また浮遊させることができる。だから、現在の言葉で言うと価格破壊、もっとひどい言い方をすればデフレ現象がある、って言ったりしますけれども。」の場面でした。

つづきを聴きます。。。

あの、消費者のほうから逆…、あの、言えばそれは、安い…。安く、って、消費者のほうに…、あの。安いお金で、いくらでも、あの、商品っていうのは、あの。中間のその卸し、とか、そういうことを排除すれば、あの、いくらでも安く…。商品っていうのは、今よりいくらでも安くなるんだ。安く買えるんだ、ってことになります。(チャプター01「価値の浮遊性」/4:51〜)

「消費者のほうから言えば、中間の卸しとかそういうことを排除すれば、商品っていうのはいくらでも安く買えるんだ。ってことになります。」

‥‥とゆう、こういうのってぼくはくわしくは存じませんが、たとえば「カンブリア宮殿」などを見ていて、なんだかビジネスモデルとして聞いたことがある。卸しを通さないで、たとえば、農家さんや漁師さんから直接仕入れる。みたいな???

吉本さんのこの講演は20年以上まえなのだけれども。こういう売り方の方法は、そのころからあったのだねぇ。。

そうすると、あの、それは破壊でも何でもなく「それ、結構なことじゃないですか。」って、消費者単位で言えばそういうことになると思います。

「そうすると、それは破壊でもなんでもなく『それは結構なことじゃあないですか。』って、消費者単位で言えばそういうことになると思います。」

はい。やっぱり、安く買える、というのは、結構なことじゃあないですか。と思ってしまうふしがあるっす。

つまり、そういうふうに、あの。価格っていうのは、あの、価値の源泉と関わりなく設定できるし。また、関わりなく、あの、設定されてしまう。ってことが、とても大きな特徴になります。

「つまり、そういうふうに価格というのは、価値の源泉と関わりなく設定できる。また、関わりなく設定されてしまう。ということが、とても大きな特徴になります。」

‥‥の、ここで吉本さんがおっしゃる「価格」と言うのとはまったくもって話しがちがうかもですが。ちょっと余談を申します。

ぼくはさいきん、クラムボンのミニアルバム『モメント e.p. 3』を購入いたしましてー。

このごろのクラムボンはさ、あたらしいCDを、CDショップやネット通販では販売されなくって。ライブ会場、もしくは販売を希望した街のお店屋さんだけでしか買えなくて。じぶんはね、今回ライブには行けないので。豊橋市西高師町にございます自家焙煎珈琲販売+カフェ「APOLLO COFFEE WORKS」さんで先日買いましたっす。(←コーヒーとケーキ、おいしかったあ!)

この試みが行われたさいしょのときに、メンバーのミトさんや郁子さんや大ちゃんがご説明されていたですが。

つまり、こういう販売方法にすることで、中間の業者へ行くはずだったお金がほぼすべてアーティストへ入り。そのお金で、音楽制作をされたり。また、CDジャケットもふつうの販売ではできないようなデザインを作ることができる。

そのご活動がね、ぼくにはうまく言えないんですが、あたらしい気がするし。また、ふつうとはちがった音楽のたのしさを味わえる。てゆうか。

これがさ、吉本さんおっしゃる「価値の浮遊性」と関係あるかはぞんじませんが。すこし長い余談として、申したくなったので申しました。

ちなみにじぶんはクラムボンの『モメント e.p. 3』の、

2曲め『ゑゐゑん、可憐 』がすきっす〜。

ほいでは、講演のこのつづきは次回noteで聴くっす。。。

平成30年7月19日


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