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二度目の「展覧会 岡本太郎」へと。

先日のブログでは、愛知県美術館にて
「展覧会 岡本太郎」を観てきたことを記しましたが。
このブログの中ではね、展覧会を観終えて
ショップのグッズを眺めていると、ふと、
『建設』という作品の「作品プリント」を
売られているのを見かけまして。
この『建設』という作品は、ぼくは以前、
「ほぼ日手帳」のカバーとして使っていたので、
つよい思い入れもあるんだけれども、
(もしや?!)と思い、
手に持っている作品リストを見てみれば、やはり、
展覧会で『建設』は展示されていた。このときは、
その前の予定を終えての疲労困憊だったから、
観たい作品を見逃してしまっていて、ならば、
もしもできれば開催期間でもう一度、
愛知県美術館へ、と想っていたんだった。

そして昨日、約一か月ぶりでね、
愛知県美術館を訪れました!

美術館に到着して館内へと入り、まずはね、
『建設』はどこで展示されていたのか?
という問題の答え合わせ〜。
展示室を歩きながら『建設』を見つけて、
あぁー、ここは、作品の前を通ったけど、
このとなりで置かれている別の作品のほうを
目で向いてしまっていたので、
見逃してしまったんだ、と、納得。
それから『建設』を後にして、
最初の展示室へと戻り、再鑑賞スタート!!!

そういえば、ぼくはこれまで
おんなじ展覧会を二度観る、というのは、
あんまりしたことなかった気もするなあ。
記憶にあるのはね、2017年豊田市美術館開催、
「奈良美智さん」の展覧会は、
二度訪れたと思うけれども、それ以外、
なにかあったかなあ?????

そして今回、二度目の
「展覧会 岡本太郎」を鑑賞しながら、
二度観るのも、よいなあ、と感じまして。

その理由について申しますと、
展覧会って、けっこう、疲れるじゃん。
とくに作品数が多ければなおのこと、
鑑賞途中でくたびれてしまったりもする。
ぼくの一度目の「展覧会 岡本太郎」のときには、
疲労困憊で終えてきた予定の後だったので、
なおさら、疲れていたんだけれども。
鑑賞中どうして疲れてしまうのか、
ってえのは、たとえば、
この先、展示室がどこまでつづくのか、そして、
あとどれぐらい作品が展示されているのか、
というのがわからないから、
じぶんの鑑賞のペース配分もつかめない。

でも、これがさ、
二度目の鑑賞ならば、
最初から最後までの展示全体のストーリーも、
すでにあたまに入っているんだから、
どのぐらいのペースで観ればよいか、を、
じぶんでつかむことができる。

そしてまた、一度目の鑑賞では
見逃してしまっていた作品、及び、
観てはいたけど気づかなかった作品の箇所、
というところまでも鑑賞することもできる。

今回、ぼくが好きだったのはね、、

『燃える人』という作品の
「ドローイング」での、その横に
添えられていた計算式の中で記された、、

「1.3」という数字の、
素因数分解かなあー。

(写真撮影OKなのでスマホで撮りました。)

たとえば、ぼくは日常的で
割り算の計算はすることあったとしても、
素因数分解はすることは無いので、
岡本太郎はなぜ、ここで、
素因数分解をしたんだろう?
って、想いを馳せてみたんだった。

そんなふうに想いながら、館内では、
二度目の鑑賞って、
とってもぜいたくだし、
みょうなプレッシャーもないし、
じぶんのペースでまわることもできるし、
うれしいなあ、たのしいなあ、ありがたいなあ、
と感じておりました。

そして、いよいよ、
『建設』の作品へと。。。

(次回につづきます。)

令和5年3月5日

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