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原石:この世に1つを編む理由

こんばんわ。
MACRAME KANOの石野です。

三連休2日目の今日は、本当にいいお日和でほどよくあたたかく、そして花粉が超絶舞うよい1日でした。

今日は昨年頃からよい原石を見つけた時だけ編んでいた「原石を編む」ということについて、Twitterの文面では伝えきれない想いを含めて少し真面目にお話ししてみようと思います。

ガネーシュヒマール水晶(ネパール)
クローライトイン

原石についての価値観

突然ですが原石、というとどのようなイメージを持たれるでしょうか?

水晶に代表される美しい六角柱の結晶や、まるで人工物のような形の整ったパイライト。ブドウの実のような形状のプレナイトなどなど、テレビやYouTube、雑誌や図鑑などで目にしたり触れたりした方も多いことと思います。

私は7年前、この仕事を始めるまで「天然石といえばビーズ」「ビーズといえば天然石ブレスレット」というイメージでした。

鉱物標本というものは知っていてもほとんど興味はありませんでしたし、美しく研磨されて整えられた形の方が身近だったこともあり、標本や鉱物の原石というものに関しては知識も興味もありませんでした。

むしろ、マクラメという技法でアクセサリーを製作するのなら、未研磨の形が整えられていない天然石は「編んでアクセサリーにする」という考えすらありませんでした。

「標本鉱物」としての原石の場合、保管や展示という方法で「見る趣味」として楽しむ他は、持ち歩くという概念は少なくとも当時の私には存在していませんでした。

それがこの7年の間に「原石としての鉱物」は私の中でかなり変化し、大きな比重を持つ存在となりました。

カンポ・デルシエロ隕石
(アルゼンチン チャコ州)

オーストラリアでの経験

少し横道に逸れてしまうのですが、今から20年ほど前、オーストラリアにホームステイしたことがあります。当時のレートは1ドルが88円ほど。

私はまるで興味がなかったのですが、友達はブラックオパールの宝飾品を家族に頼まれてたくさん購入し帰国したことを覚えています。(この時、古いオパールの採掘場に連れていってもらったのですが、全く記憶になく惜しいことをしたと後悔しています)

この度の記憶の中で、私が一番大きく得たものは「石」のことではなく

世の中には多用な価値観と、それを受け入れられるだけのキャパシティがあり、自分が抱えている悩みは広大なオーストラリアの大地と比べれば、遥かに些細でちっぽけで、必要以上に苦しまなくてよい、ということでした。

こういうと、とても壮大なことを考えていると思われがちなのですが、「自分と他人の違いはあって当然」を前提に意見が交わされたり、自分の意志と反して同調しなくてもよいという英語圏の風土に心が救われた気がしました。

特に驚いたのは今にも雨が降りそうな岬の頂から、とても大きな野生のペリカンが悠々と風を切って海を越えて、別の森に入っていく様子を見たことです。野生のペリカンにも驚いたのですが、こんな身近にこんな大きな鳥が空を飛ぶのを見て衝撃を受けました。

また、スリーシスターズという岩山が一望できる展望台の風景を眺めていると、自分が世界にとってどんなにちっぽけで、そのちっぽけな自分が悩んでいることは永い年月を経てきた岩山にとっては取るに足らないことなんだ、という諦めにも似た感情でした。

ヒマラヤ水晶
クローライトイン水晶
(マニハール産)

私は日常的に「石」に触れ、取り扱っている仕事をしていますが、一つ一つの石に触れると時々オーストラリアでの経験をふと思い出します。

目の前にやってきてくれた原石1つ、研磨された1つの石達がどれくらいの年月、どのような状態で少しずつ結晶化していったのか。

この年月を目の前にすると、ちょっとした悩みや怒りや不安や悲しみがちっぽけなものに思えてくる不思議さを感じます。もちろん、その時々にとって感情が荒ぶることはありますし、冷静でいられない状態もあります。

それでも、一つ一つの天然石を目にすると時間を忘れ、悩みも忘れて、素のままの自分がそこにあるという気がします。

そしてこの凪のような感情の状態をよく感じるのが、原石を編んでいる時です。

イタリア産宝石珊瑚

規格(ルース)と規格外(原石)

原石から加工しやすいように研磨された状態の天然石を、私たちは「ルース」といったり「カボション」と言ったりします。

一般的に知られている状態のマクラメアクセサリーは「研磨されたルース」を用いて製作をすることが9割以上で、その中にごくたまに原石水晶に孔を開けたもの、それぞれの色石に溝や孔を開けたもの(ルビーやアンバーなど)を利用することがあります。

ごつごつとした形状や出っ張ったり欠けたり、引っ込んでいたりする形よりも、つるりときれいに研磨された方が編みやすいですし、アクセサリーとして仕立てやすいのは当然ですよね。

私も製作の主流で使用するのは研磨されたものですし、ルース状に研磨されたものの方が価格が安定(※個体による価格差が少ない)しやすく、流通量も多いのが事実です。

逆に原石となると、そもそも「アクセサリーの素材として提供」されているものはほとんどなく、むしろ「鉱物標本」というジャンルで供給されているものがほとんどです。

更に言えばルースでも固有の形や大きさ、色合い、インクルージョンなどによっても同じものは2つとありません。ただ、原石の形状となると更にそれが顕著で、「同じものがこの世に2度と生まれない」ということが言えます。

ルースを規格のものとするのなら、原石は規格外のもの。流通の量もルースのそれに比べると、鉱物の種類によりますが少なく、うかうかしているうちに販売終了や完売になっていることも珍しくありません。

研磨されていない、整われていない自然から切り出した形状の原石。貴重で、唯一無二の存在感や特別感があるということよりも、私にとって「原石を編む」ということは「心を編む」ということに近い感覚がします

黒曜石(オブシディアン:メキシコ産)
ホワイトラブラドライト

凹凸に向き合う、心に向き合う

画一的な形状ではなく、ごつごつとした、とがっていたり、欠けていたり、曲がっていたり。真っ直ぐで透き通る面があったり、曲面が多かったり。

一筋縄ではいかず、糸のかけ方に四苦八苦したり、マクラメの基本の編み方とは異なるセオリーの枠の外で自由に編むことが出来る原石を編む、ということ。

原石で編み出したアクセサリーたちは、それぞれの独自の形状や、それぞれの天然石が持つ凹凸、個性に合わせてデザインをし、編み上げています。

糸をかける場所や全体のイメージをざっくり決めてから編み始めても、予定が大幅に変更になったり、全てほどき編み直したり、お蔵入りになったり。

一番大切にしていることは、凹凸やキズやカケ、くもりやクラックなど、その原石が一つ一つ持つ個性を隠さないこと。そして、その石ひとつひとつの一番いい部分を見せられるように据えて編むことです。

剥き出しの荒々しく素直な原石に向き合っていると、自分の心の中にあった表には出せない荒々しい部分でさえも「ありのままでいい」と思えてくるから不思議です。

ヒマラヤ水晶(マニハール クル地方)
1つひとつ選ばせていただいた貴重な原石

永い年月を経て、様々な人の手と海と空を渡ってきた世界にたった1つしかない原石たちと向き合う度、自分がどこにいたいのか、どうありたいのか、どういう人達とどのような人間関係を構築し、どういう価値感を大切にし、人生を生きていきたいのかを考えます。

自分から見た自分自身の苦手なところ、嫌いなところ、認めたくないところ。

そうしたところを受け入れるのは難しいですが、原石を通じて「そういう隠したい部分も含めて自分」であると、自分を認めたり受け入れたり。心に向き合えるようなアクセサリーをこれからも仕立てていきたいと思っています。

ガネーシュヒマール水晶
(ネパール)

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天然石を極細の糸で編むマクラメクリエイター。天然石をマクラメの技法を駆使して宝石いっぱいのペンダントにしています。