『カラフル』を10年ぶりに読んだら脱いでしまった話。
これは、私がSNSでの活動を始めた理由と、そのきっかけとなった本の話である。
「?」でいっぱいのタイトルはちゃんと回収するから、とりあえず読んでほしい。
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先日、大学時代の後輩からこんな相談を受けた。
「いろいろ考えて、やっぱりイラストを描く仕事がしたいってことが分かったんです。でも、今の会社を辞める訳にもいかないし、どうしたらいいか分からなくなりました。」と。
彼女は大手のメーカーで営業の仕事をしている。
彼女が涙目で言うことには、自分はまだ入社2年目だし、今辞めたら、根性がないと言われるに違いない。そもそもこの歳で一から新しいことを始めるなんて絶対にバカにされる、と。
私は、「まぁバカにされるかもね。これだからゆとりは!とかも言われるかもね。」と答えた。
そして同時に、「でもそのバカにした人たちを、手のひら返しさせられるかどうかは後々どうにでもできるっしょ!」とも答えた。
我ながらキマったーー!と思ったのだが、後輩には、
「先輩は少年漫画脳だからいいですよね。」と返されてしまった。
「先輩は、“Hカップな広告マン”始める時、怖くなかったんですか?」
と聞かれ、思い出した。私もめちゃくちゃにびびっていたことを。
※Hカップな広告マンとは、私がSNS上での活動の際に使っている名前である。(twitter @hcupadman)
当時の社会人2年目だった私は、
①SNSアカウントをガッツリ運用してみたい
②自分と同じように胸が大きい女性を、勇気づけられるような発信をしたい
という2つのことをぼんやりと思っていた。
① は、いずれ広告会社の中のクリエイティブ職という職種に就きたいを思っていて、クリエイターとして媒体を深く理解することは強みになると考えていたからだ。
②は、私自身胸が大きいことが恥ずかしくて悩んできたが、乗り越えて、自分の体を好きだと思えるようになったという体験がある。堂々と脱いで、誰かを勇気づけることができたらと思っていた。
とはいえ、とにかく怖かった。
「ブスなのに脱いで見ていられない。」とか、「まだ2年目でしょ?仕事に集中しろ。」あたりは間違いなく言われるだろうと思った、というか確信していたし、「こんなの気の迷いだ。まさか現実にやるわけない。」と自分を思い込ませて忘れることにした。
『カラフル』に出会ったのはSNSアカウントのことなんかすっかり心の奥底に沈め、2か月が経った頃だ。たまたま入った蔦屋書店のレジ横で森絵都さんの特集がされていて、その中に『カラフル』を見つけた。
「なつかしいなぁ。」と思ったと同時に、なんだか無性にまた読みたくなった。
中学校の教科書で出てきたことと、“援助交際している女の子が出てくる”という記憶しか残っていなかったが(もちろん物語のポイントは全くもってそこではないのだが、当時中学生だった私にはあまりに衝撃的で記憶に残っていた)、ぼんやりと、特別な物語だったという記憶があった。
そして、『カラフル』を10年ぶりに手にした。
自分の人生を、まるで他人の人生かのように生きてみてもいいかもしれない。
きっとこの小説で森絵都さんが言いたかったことはそんなことではないと思いながらも、私はそう思った。
『カラフル』は、生前の罪により輪廻のサイクルからはずされた主人公“ぼく”の魂が、小林真という男の子の体に入り、小林真として生きながら生前の罪を思い出していくという物語だ。なかなかに辛いことばかりの小林真の人生を、“ぼく”は、「所詮他人の人生だし」と半ば無責任に生き、結果、小林真の人生を好転させていく。
※ネタバレしないようかなりストーリーを省いているので(もちろん、オチだって書いてない)、ぜひまた読んで欲しい。
さっき私は”無責任に“と書いた。これが鍵だ。
“ぼく”は何も小林真の人生を本当に無責任に生きた訳ではない。
小林真の“感情”に無責任に生きたのだ。
真本人だったら思っていたであろう、「失敗したらどうしよう」とか。
「どうせ無理だし」とか、「みじめな思いはしたくない」とか。
自分の人生を振り返っても、同じようなことはあるんじゃないだろうか。
私たちは他人に人生には無責任で、そしてだからこそ今とるべき正しい行動を言い当てることができたりする。
「なかなか告白してくれない。」と愚痴をこぼす友人に対して、「だったら告ればいいじゃん!」と私たちは何度言ってきたことだろう。自分は絶対告白できないくせに。
もちろん、友人の相談には全力で応えたいし、あらゆる方法や可能性を考える。置かれている状況も、持っている感情もちゃんと聞く。そしてその上で、どこまで行っても友人の人生は友人の人生なのだ。そしてだからこそ、感情を抜きにしたアドバイスができるのだと思う。
とまあ、そんなことを考えた時、
ふとSNSアカウントのことが脳裏をよぎった。
「もし、この人生が私のじゃないとすれば、どうするのが良いだろう」
答えは明白だった。
「ブスなのに脱いで見ていられない」
と言われるかなんて、やってみないと分からない。
「まだ2年目でしょ?仕事に集中しろ」
と言われるかどうかも、やっぱり話してみないと分からない。
てか、そもそも仕事でちゃんと成果残せば説得できるのでは?なんて、
なかなかドライなことまで思ったりする。
そうして、臆病な私は、2か月の時を経てようやく脱ぐことにしたのだ。
始めてもう1年以上経つが、私が心配していたことの95%以上のことは実際には起きなかった。
むしろ、twitterのフォロワーが3万5千人を超えたり、まさか会えると思っていなかった人と繋がれたり、胸の大きい女性から感謝の長文DMをもらったり......今では心の底からアカウントを始めてよかったと思っている。不安なことに関してはいくらでも想像が膨らむのに、いいことは案外想像できていなかったのだと気づかされた。
私たちは、もっと自分が失敗することに寛大になっていい。
もっと傷つくことに寛大になっていい。
もし今、何かを始めようと悩んでいることがあるなら、ぜひ『カラフル』を読んでみて欲しい。そして、自分の人生を「もしこれが自分の人生じゃなかったら」と考えてみて欲しい。
これも、ある意味私は“無責任に言っている”、ということになるのだが。笑
最後に、ここまで書いたことは、当時悶々としていた私が感じた一つの視点からの解釈だということをはっきりさせておきたい。この勝手な解釈で当時救われた一方で、『カラフル』には、私が本文に書いた以上の、というか全く別の素晴らしさがあると私は思っているからだ。
本の中で、
**この世があまりにもカラフルだから、ぼくらはいつも迷ってる。
どれがほんとの色だかわからなくて。どれが自分の色だかわからなくて。**
という表現が出てくる。
私はこの文章を、”悩むことや、自分の嫌いな部分など含めて、人生はすべてが美しい”みたいなことを森絵都さんは表現されたのかなと解釈している。
この視座は、私が上に記した、ある意味感情を切り離して行動していく、といった解釈よりも、ずっと美しく豊かなものかもしれないと思う。
それでも、私がこのnoteを書いたのは、やっぱり私はこの本に(そしてこの勝手な解釈に)人生を変えてもらったと思うからなのだ。
※この記事は GO FIGHT CLUB の課題として書いたものです。
【いつもtwitterやインスタを見てくださっているみなさんへ】
今回は課題としてある程度ルールがある中で書いたので、なぜ『Hカップな広告マン』を始めたのかについてはとっても簡単に書きました。いつかまたnoteを書くと思いますし、その時にはもっと深く私のことを書けたらと思っています。いつも応援してくれて、ありがとうございます。そして、ここまで読んでくださってありがとうございます。(初めてnote書いたので、自意識に苛まれおかしくなりそうでした。笑)
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