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ブックレビュー「世界標準の経営理論」

(通常ブックレビューは私のプライベートnoteであるKeith Kakehashi名義に掲載していますが、本レビューはHIRAKUコンサルタンシーサービシズの業務にも関連しますので重複して掲載しました。)

早稲田大学大学院ビジネス・スクール教授の入山章栄によるトータル820頁に及ぶ世界の主要な経営理論を初めて完全に体系化した大作である。本屋で手に取ると電子図書で無ければ通勤時に読むには分厚く、普通のビジネスパーソンなら尻込みしがちな本書について著者は冒頭に、「どこから読んでもいい」、「すべてを読まなくてもいい」としている。しかし今回私は良い機会なので最初から最後まで通して一週間程度で読んでみることにした。

本書の構成は、最初の第一部から第四部までで、経営学を構成する経済学ディシプリン、マクロ・ミクロ心理学ディシプリン、社会学ディシプリンによる経営理論を紹介し、残りの二部で「ビジネス現象と理論のマトリックス」、「経営理論の組み立て方・実証の仕方」を扱っている。大変理にかなっていてわかりやすい構成だ。

著者は読者の想定として、ビジネスパーソン、経営者、起業家、大学生や大学院生、そして研究者までを含めているが、特にビジネスパーソンが経営理論を「思考の軸」の一つとしてもらうことを強く意識している。私にとっては「思考の軸」の意味とともに、今後のコンサルティング活動で利用するガイドブックとしての役割も大きい。また15年ほど前に米国でMBAの勉強をしたことがあるが、その時学んだことがどれぐらい進化しているのか、という視点でも興味深かった。

仕事柄特にマクロ・ミクロ心理学ディシプリンが組織論や人的資源管理との関連性が高いのは当然のことだが、社会学ディシプリンの諸理論が新鮮で面白く感じた。また著者が経営理論を語る中、特に日本企業において重要だと思われている点をハイライトしている点が本書をわかりやすいものにしていると思う。

本書を読む中で特に私が関心をもった理論についてここでいくつか挙げてみたいと思う。

1. 組織の知識創造理論(SECIモデル)

御存じ野中郁次郎が提唱した知の創造モデル。確か1996年頃に野中氏の本を読んだ記憶がある。暗黙知の方が形式知よりも豊かであり、それを取り込んでこそ知識創造につながる、とする。しかも暗黙知は最低2人の人格がぶつかり合い融合しないといけない。

著者が指摘する点で興味深かったのは、日本的経営で旧来持っていて失われたタバコ部屋、飲みにケーション、ブラブラおじさんといったインフォーマルな場や人が実は知識創造につながっていた、とする点だ。著者はそれではそういったものを復活しよう、と言うのではなく、シリコンバレーの企業はそのエッセンスを上手くフォーマル化している、と指摘している。

2. モチベーションXリーダーシップ

著者は個人のクリエイティビティと生産性に寄与する「社員がPSM(プロソーシャル・モチベーション)と内発的動機」に満ちている企業」といえばリクルートだと指摘している。

それに加えて個人のモチベーションに大切なのがこの二つの要素だとすると、この二つの要素が高い人材を生み出す組織におけるリーダーシップはTFL(トランスフォーメ―ショナル・リーダーシップ)とSL(シェアードリーダーシップ)が満ちた企業である、と指摘する。

TFLとは「明確にビジョンを掲げて自社・自組織の仕事の魅力を部下に伝え、部下を啓蒙し、新しいことを奨励し、部下の学習や成長を重視する」こと。SLとは「チームのメンバー全員がそれぞれリーダーのようにふるまい、互いに影響し合う」ことだ。TFLとSLは組織としての高いパフォーマンスを発揮するのに寄与する。

私が人材開発で重視したリーダーシップはTFLに近いものだったので大変腑に落ちる指摘だ。

3. 不確実性の高い世界では、直感は熟慮に勝る

昨今流行している無意識のバイアスのトレーニングではとかくヒューリスティック・直感を戒めることが多いが、「ヒューリスティック・直感は意思決定のスピードを速めるだけでなく、状況によって論理思考よりも正確な予測を可能にする」という点が面白い。

これはバイアスとヴァリアンス(過去の経験や情報収集などにより得られた変数)のジレンマと言って、「過去は使えたが、実はいまは使えない情報」や「他業界では意味があったが、実はこの業界では影響の推定が不可能」といったノイズが多くまぎれると予測エラー度があがるため、むしろある程度のバイアスを許容した方がマシだ、という考え方だ。

まさに目から鱗だった。

4. 帰属感情と分離感情

「同じように部下を叱ったはずなのに、ある部下はそれを素直に受け止めたが、別の部下は極端に落ち込んでしまった」という経験は多くの人が持つだろう。

これは前者はPA(Positive Affect)が高いため上司の叱りをそれほど深刻に受け止めないが、後者はNA(Negative Affect)が高いので上司のネガティブな部分に高く反応する。フィードバックをする際に受け手によって留意が必要なだけではなく、結果的にパワーハラスメントにつながる可能性もある。

またPAは自己効力感を高めアスピレーションを上げ、他者に協力的な態度をとり、知の探索を促す一方、NAは満足度を下げるのでサーチや知の深化を促し、結果的に足元の業績期待を高める効果もある。決してPAがNAよりも優れているという話では無く、両方の効果を熟知しておくべきなのだ。

5. ディープ・アクティング

「ディープ・アクティング」とは「この事態は、別の角度からはこう解釈できるのではないか」などと、考え・視点を意識的にずらすことで自分の感情を変化させることを言う。反対に「外にディスプレーする表情」と「自分の本心」にギャップを持ったまま、感情表現することを「サーフィス・アクティング」という。

「サーフィス・アクティング」を続けていくと心理負担が重くなっていくし相手に見抜かれるかもしれないが、「ディープ・アクティング」により例えば「戸惑い」や「嫌悪」が「同情」につながる。

この説明を聞いて、ベストセラー「七つの習慣」の冒頭でのエピソードを想い出した。電車に乗っていた男性の子どもが騒いでいるので、同乗客が痺れを切らして男性に注意するように促すと、男性が非を認めたものの「妻が死んだところで途方に暮れている」との説明を受けて「同情」が生まれた、というものだ。まさに視点を変えることで心理的負担が少なくなる例だと思う。

6. センス・メイキング

本書で引用されているある登山事件の話が大変面白い。

猛吹雪に見舞われアルプス山脈で遭難した部隊の一人がポケットから地図を見つけ、部隊は落ち着きを取り戻し「これで帰れるはずだ」と下山を決意、地図を手に下山に成功した。ところがその地図を見た上官が驚いたことには、地図はアルプス山脈のものでは無く、ピレネー山脈の地図だった、というのだ。

センス・メイキングは「腹落ち」のことで、「センス・メイキングの高まった組織ほど、極限の事態でも、それを乗り越えやすくなる」。地図が正しかったかどうかよりもチームが結束した効果が上回ったということだろう。

7. レッド・クイーン理論

「不思議の国のアリス」で、「鏡の国」に迷いこんだアリスが、赤の女王にチェスの駒となってゲームに参加するが、その時の言葉に「もしあなたが本当に他の場所へ行きたいなら、あなたはいまより2倍は速く走らなければならないのです!」というものがある。

これは「生存競争による共進化」を示唆する。ただ全力で走っても、競争相手も全力で走っているため、相対的には「現状維持」にすぎない、ことを指す。

2企業が特定領域でレッドクイーン競争にあると、「いかに相手を生まわるか」が進化の主目的になってしまうが、これは「知の深化型の共進化」のスパイラルに陥ってしまう。これは日本企業の「ガラパゴス競争」そのものだ。実は競争相手はライバル企業なのでは無く、「自身のビジョン」が競争相手なのだ。

8. 「弱いつながり」

弱いつながりの強さ(Strength of weak ties)は、弱いつながりは強いつながりよりも「伝播する力、感染する力」が強い、という。

そして「弱いつながりを持つ人は、ブリッジの多い希薄なネットワーク上にあり、遠くから多様な情報が、速く、効果的に流れてくる」。「結果、弱いつながりを持つ人は幅広い知と知を組み合わせて、新しい知を生み出せる」。

日本の伝統的な企業では「チャラチャラしている」「名刺コレクター」と呼ばれている人こと「新しい知の組み合わせ」を試し、創造性を高めている可能性が高い、と指摘する。

もちろん弱いつながりが強いつながりよりも素晴らしい、ということでは無い。知の探索には弱いつながり、知の深化には強いつながりが効果的、ということだ。

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私が読みながらメモしたのはこのような部分だった。入山氏といえば「両利き」であり、本書でも多くの紙面を割いているが、「両利き」そのものは以前彼の講演での説明で理解していたので、個人的にはむしろそれ以外の部分が興味深かった。

今回MBAの勉強をした際のテキスト”Organizational Behavior(OB)"の目次を見直してみると第二部・第三部に含まれている経営理論がしっかりと入っていた。正直当時の印象は「何か、人事向けのテキストとしては理屈っぽいものが多いなあ」というものだったが、今考えるとこれら理論の根本的な部分が理解できていなかっただけだったのだろう。反省。

本書の第5部では、現象領域としてOBと人的資源管理(HRM)を取り上げ、この分野が今後面白くなっていく理由として、①イノベーション理論との融合、②ビッグデータとAIの浸透、③経済学との重層化、④社会学との重層化、⑤ミクロ心理学理論の量的変化、を挙げている。

ミクロ心理学ディシプリンのみに基づいてきたOBとHRMは、経済学ディシプリンやマクロ心理学ディシプリン、社会学ディシプリンを突き詰めていくことで大転換を迎えていくとする著者の見方は納得できるし、学際的な考え方が新たなイノベーションを生んでいくのだろう。本書に紹介されているこれらディシプリンの推薦図書でまだ読んでいないものを今後読んでいきたいと思う。


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